ホテル関係者の方や、スタッフに、”おもてなしのテキストがあれば紹介して欲しい”と頼まれることがあるのですが、私自身はこういった本を読んだことがありません。
お辞儀の角度や手の位置などで、細かく決めておられる会社もあるようなのですが、不愉快に思われる所作でなければ、それで良いと思っています。それでも基本を知りたい、という方には、”利休七則”をお伝えしています。これほどもてなしの基本をまとめているものは他にありません。
自分でして欲しいと思うことを精一杯準備し、して欲しくないこと、失望させるような事はしないように努める、ということに尽きると思っています。”また来たい、またこの人に会いたい”と思ってもらえることをしたかどうか、それがすべてです。
先日、とある有名な料亭で開催された茶会に出向きました。高級料亭として、誰もが知る場所です。茶会形式ではあるものの、案内には、濃茶・薄茶・懐石とありました。茶会・茶事において、濃茶があるかどうかには大きな違いがあります。案内を出す際にも、濃茶がある場合には、“御茶”と明記します。用意される道具もすべて異なり、濃茶の席のみ、名物と呼ばれる素晴らしい道具の数々が登場します。それを楽しみに、全国から人が集まるのです。
待合に案内されると、突然、”本日趣向を変更し、薄茶二席にさせていただきます”と係の方からお話がありました。はて、薄茶二席の趣向とはどういったものかしら?と困惑とともに期待も高まります。もしかして、すごーい屏風(根津美術館のカキツバタみたいいなもの)が登場するのかな?と内心ワクワク。時間が来て、お席に案内されたのですが、これといって特別なものはありません。しばらくたつと、ご亭主がよろよろと登場されました。
お話を聞くと、どうも、ご亭主の膝の調子が悪く、正座が出来ない、なので、濃茶が出せない、息子さんが代わりに点前をするが、彼はまだ濃茶の点前を人前で披露するに至っていない、なので、薄茶に変えてもらった、との説明でした。集まった方は大人なので、これについてどうこう言う人はおられませんでした。が、私は内心相当複雑な気持ちでした。何より気になったのは、この変更について、ご亭主がそれほど申し訳ないと思っている気配を感じなかったからです。
昨日今日怪我をした、というなら仕方が無い面もあります。が、この方の膝の不調は、どう見ても肥満によるものです。膝の調子が悪く、点前が出来そうにないなら、①席主に徹し、点前はどこかのお茶の宗匠に依頼する②息子を大特訓して、何とか濃茶を出す、などの準備は出来たはずです。そもそも、今日の席は、約束したものを提供できていないわけで、お茶云々の前に、料亭の責任者として、きちんと侘びをし、何か補填できるものを提供すべきです。ブランドに依存している驕りしか感じませんでした。
道具組も、料理も中途半端なものでした。このところ、情熱溢れる素晴らしいお席に恵まれていたただけに、ガッカリ感は半端ありません。
そして、もう一席。とある料理屋さんでお茶の先生が主催する茶事教室。定員いっぱいの枠の方が申し込んでおられ、大人気。気を取り直して出かけました。こちらも何だかがっかり。何が問題かというと、道具の問答になった段階で、”料理屋が準備したので、私にはわからない”の連発。お楽しみの濃茶は、”お家元が各服だから”と、黒楽の数茶碗が人数分(つまり、真っ黒な茶碗しか登場しない)でした。お席が終わると、水屋の方から、”あ~終わった”の一言が聞こえてきました。この日かかっていたお軸は、大宗匠が書かれたという「余情残心」でした。。。
良いことも、悪いことも、比較してこそ、その価値がわかることがあります。ここ数か月はそれを実感する事の連続です。もてなしは、テキストで学ぶのではなく、経験を積み重ねないとわからないと思っているので、とにかく経験値を増やして、すべきこととすべきでないことを体で覚えるしかありません。
私自身は、ホテルスパは、料亭と同じだと思っています。体調を整える、疲労回復をすることはもちろんですが、それ以上のもの期待されている場所です。贅沢感、非日常感など、心の豊かさを体感するためにお越しになるゲストがほとんど。
その方たちに対して、最低でも期待通りのものを、できればそれ以上のものをご提供できているのか、もう一度振り返りたい。