名門の襲名があったり、映画が大ヒットしたりして、このところ歌舞伎に注目が集まっています。以前、歌舞伎の関係者の方に、修行や稽古の凄まじさについてお話を伺ったことがありますが、よほどの覚悟が無いとついていけない世界だと感じました。毎月演目が変わり、踊りもセリフもガラッと変わり、都度批評に晒される緊張はいかばかりかと思います。
それだけでもすごいのですが、話には続きがありました。それは、”理不尽で芸が磨かれる”というお話です。
歌舞伎座や南座の演目は、かなり前から決まるので、それを準備出来るのは当たり前のことで、時々発生する想定外にいかに対応できるかが、成長出来るかどうかの分かれ道なのだ、とのお話でした。それは、メインをはる人の事故や病気で代役を務める時、それから、地方興行で起きるハプニングの時なのだそうです。いつも準備しているかどうか、状況が変わっても落ち着いて臨機応変に対応出来るか、そして、それを前向きに捉えることが出来るか、そういった事を経て、役者は成長するんですよ、とすでに鬼籍に入られている名優の方が話しておられたのを思い出します。
座長としては、若手にも目配り、気配りしないといけない。今のご時世、修行や稽古の時間にも制限があるし、稽古の時間を労働とみなすお上(役所)もいる。でも、残念ながら、人は理不尽で成長するんですよ。だから、結局は身内にしか伝授できないものがより多くなるでしょうね、よそから若手を入れたいけれど、自主稽古を労働とみなしているうちは、もう無理です。会社さんはどうですか?
随分前のことで、私にはその話の意味が十分理解できたとは思えず、はあ、といった生半可なお返事をした記憶があります。
この話を思い出したのは、最近ある出来事があったからです。
複数の方から指導を受ける機会がありました。指導者の格としては同じぐらいの方です。想定外の状況になった時、お一人の方の対応は十分とは言えず、生徒たちに、”この状況では限界がある”と話されました。ああ、そういうものかな、とその日は納得しました。別の機会で、違う想定外が発生しました。まったく異なる状況です。こちらは、見事に対応され、想定外をプラスに変えてしまうような魔法の時間でした。
お二人とも、厳しい学びを重ねておられるのですが、お一人はそれについて、”厳しい、つらい、それでも乗り越える”と話しておられ、もう一人の方は、それらについて話されることはありません。でも、いつもにこやかで、アドバイスを求める際も、出来の悪いこちらを責めることもなく、”ようなさっておられる”とおっしゃってくださった上で、”こうした方がええかな”とさらっとおっしゃいます。
日本の伝統は、明文化されることが少なく、手取り足取り教えてもらうものでもありません。その中で、技を盗み、師匠に伝授する価値があると認めてもらえた人だけが生き残ってきた世界です。今は、マニュアルが必要で、手取り足取りが必要で、公平でなければならず、修行や学びの時間も労働とみなされて、教える側が対価を支払う必要があります。国が定めったルールですから、どの世界の人も遵守する必要はあります。
感動を覚える体験を経て、学びというものについて考えをめぐらしています。そして、ある意味、理不尽の強さも感じます。