今年も行ってきました、根津美術館の燕子花
ちょっと出遅れたかな、と思っていましたがお庭の燕子花は満開で、タイミング良くお呈茶もいただけました。
今年のテーマは、アートよりで、尾形光琳の燕子花と円山応挙の藤の絵の構図やそのタッチについて応挙寄りのアプローチでの内容でした。燕子花というテーマで、毎年工夫を凝らして展示されているのは本当に興味深いです。
そんな中でも、印象深かったのは、2022年の展示でした。この年は、昭和12年5月に、根津嘉一郎が実際にこの屏風を用いて開催した茶会の取り合わせが詳細に紹介されるという凄い企画でした。新型コロナの影響で、美術館もクローズせざるを得なかった直後の展覧会だったので、学芸員の方々がいつもにも増して力を入れられたのだと思います。
お茶をやればやるほど、この華やかな屏風を一体いつ使ったのだろう?という疑問を持ちます。大寄せの茶会ならまだしも、茶事においてここまで華やかなものをご披露する場が無いからです。ううむ、とずっと疑問だったのですが、この年に謎が解けました。
会記によると、懐石→濃茶のあと、薄茶に移る際、お客様たちに席を移動してもらう、その通り道にババーンと屏風を置いていたようです。茶事においては、濃茶が終わるとほっとした気持ちになり、緊張した空気が緩みますが、その緩んだ気持ちを更に晴れやかにするようなこの華やかな屏風!
燕子花が圧倒的に有名ですが、実はこの時、桜と藤も飾っていたそうです。花は、桜→藤→燕子花と移り変わっていきますので、この屏風で、日本の春を凝縮していることになります。
この屏風の使い方だけでも、大発見(私にとっては)なのですが、更に興味深いのは招待客の顔ぶれです。
この年の茶事は、燕子花の開花時期に数回開催されたようなのですが、招待客への配慮が凄い!政治家、財界人、数寄者など、人のタイプ別に分けて招待しています。かつ、誰を正客にするか、どの茶碗を使うか、熟慮に熟慮を重ねたと記録されています。
これだけの茶事ですと、当然”呼んで欲しい!”と思う人は大勢いたと思われ、誰を呼ぶ・呼ばないについても苦慮した後が見て取れます。
展覧会の面白いところは、こういった背景を知る事が出来る点です。人間関係の悩みは、今も昔も変わらない、とちょっと気持ちが楽になります。
現代風に言えば、①華やかな屏風を、おおっと驚くような環境でお披露目する→究極の映え ②話が合いそうな人を厳選して呼ぶ→微妙な関係にあるママ友を呼んでホームパーティーをする ③ええっ私呼ばれてない!と拗ねる人対策を考える→うまいとこ距離を置けるように、かつ敵を作らないように知恵を絞る、という感じでしょうか。
礼儀作法のイメ――ジが強い茶の湯に興味を持ち始めたのは、こういった人間臭さを知ったことがきっかけです。
ある古美術の専門家の方のレクチャーを受けた時、益田鈍翁(三井物産の創業者)は、道具マニアで、良い茶碗や茶入れを見るとすぐに欲しい欲しいとおねだりしていた、といった話が出てきて、大笑いしてしまいました。この大物に対し、名古屋の若き財界人は、”あなたにはお金があるけどセンスが無い、私には財力はないけどセンスがあるから名品が集まるんだよ”とお手紙書いた(喧嘩売ってる?)という記録も残っています。ちっとも良いお作法じゃない(笑)
一つだけ言えるのは、自分の大切な友人に喜んでもらうために、全力を尽くしていた、ということです。
OMOTENASHIと簡単に言いますが、こういう真剣勝負や美意識を重ねて、今の日本文化があるんだよなあ、と実感します。