司馬遼太郎記念館に行ってきました。広島や大阪に行く機会が多い私。いつでも行けると思っていたのですが、これがなかなか。”いつか行こう”だと”ずっと行かない”になってしまいそうだったので、夏真っ盛りの大阪、意を決して(かなり大袈裟)出かけてきました。
大坂の中心からは、御堂筋線に乗り、なんば乗り換えで近鉄奈良線「八戸ノ里」駅下車で少し歩きます。近鉄奈良線に乗っていると、そのまま賢島に行きたくなってしまう誘惑にかられますが(私だけ?)初志貫徹です。
この街は、司馬遼太郎さんが、実際に住んで執筆活動を行っておられた場所。記念館も、ご自宅に隣接して建てられていますし、実際に執筆されていたお部屋はそのまま残されており、お庭から見ることができます。そのリアルさ故に、ぜひ行ってみたいと思っていた場所です。
駅を降りて歩くと、歩道にすぐ道案内を見ることができます。その案内に沿っててくてく歩いていくと、閑静な住宅街の一角に、この記念館があります。大変感じのいいスタッフの方に迎えられ、中に入っていくと、うちわを渡されます。木々でいっぱいのお庭。この時期は蚊が多いから、払いながら歩いてくださいと説明を受けました。
敷地内には、ご自宅と安藤忠雄さんが設計された記念館があります。この記念館には、圧倒的な数の蔵書が収蔵されています。司馬遼太郎さんご自身の蔵書です。6万冊あるそうです!もともとは、ご自宅いっぱいに詰まっていた本が大半とのことでした。大変広いご自宅ですが、書斎から溢れた本が、玄関、廊下いっぱいに整然と並んでいたそうです。
歴史小説を読んで感じるのは、優れた作品(ぐいぐい引き込まれていく、と感じるもの)ほど”何でこんなことまでわかるの?”というリアルさです。まるでその場に立っていたかのような臨場感。風俗の描写が詳細で、登場人物が着ているもの、食べてるもの、住んでいる場所の描写で、”なぜ彼・彼女が歴史に残るような行動を取ったのか”と自然に納得できるような流れになっています。それだけに、いったいどうやってこれだけの情報を得ているのか、と興味が尽きませんでした。
その答えがここにありました。6万冊・・・!!蔵書の中には、その人物にまつわるものだけでなく、大日本史のような歴史本、地方の風俗を説明したもの、食べ物や文化、そして百科事典類も数多くありました。事実や時代背景にこだわり、必然を導き出す作家の強いこだわりを感じます。
司馬遼太郎さんの作品の原点は、22歳の自分への手紙なのだそうです。22歳時、終戦を迎えた年。なぜこんな馬鹿な戦争をしたのか、どこで道を誤ったのかを知りたい、そしてその答えを、全てを失った22歳の自分に語ってやりたい、との思いが、作品の背景にあるとのことでした。だからファンタジーではなく、史実に基づいた人物、しかも、日本を正しく導く可能性のあっった人物を描いていたのだな、と納得できました。
”日本人とは何者か”にこだわり続けた司馬遼太郎。大作家は多作な人でもありました。まだまだ読破できていないことを実感し、まだ読書欲に火がついた記念館訪問でした。そして読み進みながら、私も同じように考えてみたいと思っています。”日本人とは何者か”について。