日経新聞朝刊の「私の履歴書」に、楽直入(十五代楽吉左衛門)さんが執筆しておられ、全28回の最終回を迎えました。この欄が面白いときは、毎朝日経を後ろから読んでしまうのですが、この後ろから読みも、今日で終わりかと思うと、少し寂しい気分です。
楽茶碗を作るという一子相伝の家に生まれた苦悩や、長く続く伝統の中で、自分なりの作品を作りあげるプロセスは、読んでいてひりひりするような気持ちになりました。展覧会で何度か作品を拝見しましたが、中には”これじゃお茶は飲めない・・”と思ってしまうような型破りな茶碗もあり、かと思うと、長次郎を思わせるシンプルな作風もあり、本当に様々なことにチャレンジなさったんだなと、実感します。
2月上旬に開催された、ある財界人かつ数寄者の茶事で、楽家の茶碗が数点使われました。代何代楽・・とご亭主が説明されるだけで、おおっと声が上がる、それほど、楽家の茶碗は人気があります。何気なく、おおっと声をあげ、展覧会で”たくさんあるな~”と思い、楽美術館にもお出かけしてきましたが、今回の連載で、この伝統を維持するために、どれだけの努力があったのか、初めて知りました。
楽茶碗は、初代が作った形が踏襲されることが多く、私などは、2代目以降はあまり区別がつきません。が、15代のものは、他のものとまるで違う。フランスのリモージュの土で焼いた茶碗は、独創的すぎて、はっきり言ってお茶・・飲みにくそうでした。花瓶はスタイリッシュで格好良いものでしたが。
何かを極めるということは、ここまで大きく振れながら道を探すということなんだなあ、と感じさせてくれた28回。以前の展覧会の画集を読み返してみようと思います。