先週末、茶道会館にて開催された旬味会、今回のテーマは、”祇園祭”
待合のしつらえも、雅
祇園祭りといえば、京都の夏の風物詩。何か華やかで雅な発祥があるのかと思いきや、疫病対策が始まりというお話を聞かせていただきました。
ちょうど、裏千家のメールマガジンでも解説があったので、引用させていただきます。
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京都三大祭りの一つ、八坂神社(東山区祇園町)の祭礼「祇園祭」の正式名称。
平安時代の貞観11(869)年、神泉苑(中京区御池通大宮)に矛を立て、祇園社の神輿を運び、疫病退散を祈願したことが始まりとされる。7月1日の「吉符入り」から約1か月にわたり、八坂神社や氏子町で諸行事が行なわれる。祭のハイライト「山鉾巡行」は本来、神輿渡御(とぎょ)に伴う露払いに位置付けられていたが、時代と共に町衆の力によって発展。それぞれに趣向が凝らされた絢爛豪華な山鉾は「動く美術館」と称され、国の重要無形民俗文化財に指定(1979)、ユネスコの無形文化遺産に登録(2007)されている。
山鉾の一つ・菊水鉾(下京区室町通四条上る)では毎年、13日から16日まで会所に各流派の茶席が設けられる。町内には、かつて名水「菊水之井」があり、これが鉾の名の由来となった。室町時代後期、堺から上洛した武野紹鷗(1502~55)が邸宅「大黒庵」を構えた地としても知られている。
※山鉾巡行は新型コロナウイルスの影響により昨年に続いて中止。
昔は、鴨川の水が大変汚く、これを生活用水としたことから、夏は当たり前のように頻繁に疫病が発生していたそうです。
ご亭主が本席に掛けてくださったお軸がこれ
”じんこうけんこんにかがやく”と読み、神の光が天地を輝かせる、という解釈なのだそうです。玄々斎のお筆です。
今の鉾の始まりは、国の数66(当時は66ヶ所だったらしい)にちなんで、66の鉾を立て、祇園の神をまつり、災いの除去を祈ったことに始まるそうです。
このお茶席の前まで、”今年は鉾の巡行がなくて、観光客減ってがっかり”などと思っていた私、とっても恥ずかしくなりました・・。
本来は、今のような状況こそ、鉾を立て、祈りを捧げなくてはならない、でも背景を知らないマスコミの非難を避けるためにはそれができない。という苦渋の選択の中、町衆は、今年も66の鉾を組み立てて、内々には祈りを捧げているそうです。鉾は作らなくなると、継承が難しくなるという側面もあるそうです。
自分の無知を恥じるとともに、とても良い学びになりました。
まだまだ混乱が続いている今年の夏ではありますが、科学で解決できるようになったこと(ワクチン)や努力を重ねてくださっている方々にに感謝の気持ちを持ち、心静かに過ごしたいと思っています。
そして、来年、京都の夏で鉾の巡行が再開されるときには、ともに祈りを捧げたい。