富山での交通事故の後始末はまだ続いています。新たな壁が出現しました。
今度は富山地裁の裁判官の”心証”です。
交通事故の裁判にあたり、被害者側と加害者側から書類を提出しますが、その中には客観的で重要なものが含まれます。
片や警察による検証、片や医者による診断。
客観的事実で覆しようが無いのに、裁判官の根拠なき”心証”で、これが勝手に変えられてしまいました。
日本の司法でこんな事が起きるんだ!と大ショックです。
富山での現場検証は本当に大変でした。歩行中に車に轢かれて重傷の人身事故だったのに、物損扱いになっており、現場検証の書類が無い。。1年以上かけて何とか現場検証を行っていただき、書類を作成し、修正してもらいましたが、今でも疑念は晴れません。
事故に遭った直後、加害者は救急車を呼ぶこともなく、ただどこかに電話していました。救急車は夫が呼び、それを待つ間もこちらの様子を見にも来ません。救急車で富山赤十字病院に運ばれ、緊急手術をすることになりましたが、そうすると数か月間富山から動けなくなってしまうので、応急処置だけして、翌朝は激痛のを抱えて松葉杖の練習をしました。これが無いと車椅子にも乗れないので。そして、翌日何とか車いすに乗せてもらって新幹線で東京に移動。この移動時の痛さと気分の悪さは相当なものでした。
などというバタバタがあり、かつ帰京したら、すぐに入院手術、年末となり、事故処理の連絡が無い事を忘れていました。そう、その間、一切警察からは連絡が無かったのです。その後も何の連絡もありませんでした。ただ、疑問に思ったのは、入院中にZOOMで富山の方々と会議をしたとき、”そこまでの事故なら、夕方のニュースに出るはずなのに何も無かった、おかしい”と言われたことです。若干疑問には思ったものの、日々の事に必死で、忘れてしまいました。
1年以上経ち、症状固定で診断書をもらうことになり、補償手続きに入る段階になりました。その時点でようやく、私は加害者から何の謝罪もしてもらっていないことに気づきました。が、もしかして、こういったケースは保険会社が間に入るので、直接のコンタクトは取らないものなんだろうか?とのんびり考えていたのです。
この点を保険会社に確認したところ、そんな事は一切ない、通常は謝罪する、との話が出ました。”謝罪要求しますか?”と聞かれたので、そうして欲しいと依頼したところ、戻ってきた返事は、”先方は謝罪を拒否されています”というものでした。これに憤りを感じた私は、弁護士を立てる決心をしました。そして、弁護士の先生が、必要書類を富山警察に問い合わせたところ、物損事故として処理されており、現場検証の書類が無い事が発覚したのです。
まずは、当時の担当者を探して問い合わせしたところ、”異動してここにはいない、状況がわからない”との回答でした。色々手を尽くして、調書を作成してもらえることになったものの、私が富山に行っての現場検証についてはなかなか進みません。どうも横断した場所が重要らしく、弁護士の先生からは”絶対に現場で検証してきてください”と言われ、強く主張して現場検証をしてもらうことになりました。
随分日がたっていて、記憶が曖昧だったのですが、現場に行ってみてわかったのは、私が横断したのは、交差点からかなり離れた場所だったということでした。雪の後の曇天の日で、寒くてあまり余裕が無かったのですが、交差点はとても広く大きく、見通しの良い場所でした。つまり、この交差点の傍で横断していたら、正面から来る車が見えていたはずなんです。自殺しようとでも思わなければ、絶対に渡らない場所でした。私が横断する前、もちろん車が来ていないかどうか何度も確認しました。でも、気づけば目の前に車がいた。ということは、相当なスピードで来ていたことになります。信号無視か交差点での減速をしなかったか、いずれにしても、何等かの違反行為をしなければ、いないはずの車でした。
現場に立った警察官は、この点に同意し、確かに、この状況で交差点付近の横断はあり得ないとの結論付けをし、調書は修正されました。が、裁判官は、これを再度加害者側の主張に戻したのです!
もう一つの重要書類、後遺症認定についても信じられないことが起きました。こういった事故の後、”症状固定””という段階があるそうで、手術とリハビリが終わり、抜釘も終わり、医療的にはやる事はやった状態、つまり、これ以上は治りません、と医者が判断した状態を指します。その診断のために、曲げたり延ばしたり、痛みを確認したり、様々な状態を確認されます。言われるがままにその動きをし、その日はそれで終わり、後日診断が送られてきました。私の場合、骨折以外の症状が深刻で、今でも痛みがあるのですが、その症状については勘案されませんでした。骨が付いているか、動かせるかどうかのみです。この点で、可動域に制限がある、と言う事で一定の後遺症があるという認定になりました。正直、それは自分の症状を見ると軽すぎると感じたものです。
とはいえ、それは正式な後遺症の認定になり、これをもとに補償金を決める重要なものになるそうです。
客観的な診断として、変えられるはずがないもの。が、これも裁判官は変えました。
現場検証の最終調書、それに後遺症認定。間違いなく客観的な書類のはずなのに、それを裁判官が変える。これを”心証”と言うそうです。これが可能なら、裁判なんて意味を成しません。
この段階でこういった判断なので、あとは押してしるべし。
逸失利益というのがあるのですが、これはほとんど認められていません。要は、事故に遭って怪我をしても、あなた収入減らなかったでしょ?という判断です。おまけに、実は症状が軽いのに、重いふりをしていた(だから後遺症認定を軽くした)という”心証”を持っている、という侮辱付きです。
その理由の一つが、事故後も何とか仕事をしていたことなんです。
交通事故に遭った後、私自身はもっと簡単に考えていました。ギブスを付けてもらえれば手術しなくてもいいんじゃないか?とか、事故だけど足首骨折だからすぐに元に戻るだろうとか。
が、ドクターの反応は簡単ではなく、ソッコー手術だし、ボルト入るし、そもそも骨折はごく一部でそれ以外の症状の方が大変だと言われるし、何より、”これだけの重傷だから、元に戻るとは思わないで”と言われるし。入院も最低1ヶ月と言われました。
でも、それどころではありませんでした。
一つは仕事が山積みだったこと。
もう一つは、病院の環境が予想以上に酷かった事です。
整形外科の病棟でしたが、ここには治療が終わっても家に帰れない高齢者が溢れていました。昼も夜も徘徊するし叫ぶ。で、深夜に徘徊した人が私の個室に入ってきてしまい、点滴を動かし始めたのです。まだ体を動かせない状態だったので、これはかなりの恐怖でした。ナースコールを鳴らしても人は来ず。その後年末年始になり、ドクターはお休みで、看護スタッフも減るとのことで不安増大。であれば、自宅に帰りたいと申し出て、かなりの抵抗を受けましたが、自宅療養に切り替えることにしたのです。我が家は幸いなことに、もともとバリアフリーの設計なので、車椅子移動も出来ると説明し、何とか了承してもらいました。もちろん、在宅になる事には違う苦労もありましたが、仕事が滞らなくなったことと、夜眠れることは何よりの安心材料でした。
が、この入院期間が短かった、という結果を、加害者側は”軽症だった”と言ってきたのです。そしてそれを裁判官も支持するという展開になってしまいました。
リハビリを頑張り、病院以外の治療も行い、機能が回復してきたことも、”ほら治っているのに、治っていないふりをしている”と主張してきました。
被害者のはずなのに、まるで詐欺を働いているかのような書類が送られてきて、精神的に本当に参りました。そして、やたらと時間をかけて、一向に補償が進まない。
この状況を司法は何とかするのだと信じて頑張ってきました。が、それが一気に裏切られた状況です。ファクトが重視されると信じてきた司法の場で、まさか裁判官の主観、”心証”が出てくるとは思いもよりませんでした。
今は和解段階なのですが、これで裁判に進んでも、この裁判官が担当する以上、結果は更に被害者側に不利になるとのことです。
警察も司法も信じられない結果、これが日本とは思えない。そしてこれが、大好きな富山で起きてしまったことが、残念で複雑で仕方ありません。