富山~立山に行ってきました。目当ての一つが黒部ダム。以前小樽の石原裕次郎記念館に行ったとき、”黒部の太陽”のセットが組まれていて、いつか映画を観たい、現地に行ってみたい、と思いつつ、10年近くたってしまいました。
折しも、原発問題で、エネルギー政策見直しが叫ばれている昨今、”これは行かねば”と(自主)視察を決意。殉職者を多数出した世紀の大事業ですが、それだけ国にとっていかに電力というエネルギーが大切か、ということを改めて感じます。
そのダムの規模、ひんやりした坑道の長さ・狭さ、映画にも出てくる、難所付近など、観光の場となっている今でも、気が引き締まるほどリアルです。
福島で原発事故の収束にあたっている人々も、黒部のダムの現場のように、命をかけて守ってくれているものがあるのだと思います。なのに、十分な休憩も取れない、検査も受けられない、などという状況が報道されると、根本的に何かがおかしい、と思わざるを得ません。
脱原発の議論も、再生可能エネルギーの議論も必要だとは思います。でも、今、もっとも困難に向き合っている人たちにをもっと精神的にも物理的にもエールを送るべきだと感じます。それは東電の人だろうが、関係会社の人だろうが、現場で恐怖と困難に向き合っている人はすべてです。東北の人たちを支援する方法はいくつかあります。でも、福島の現場で働く人を支援する方法は見つかりませんでした。
昨日、東電の株主総会の様子をテレビで見ました。経営幹部はいつもああいう態度なのか、それともこういった緊張状態だからそっけないのか、それは知る由もありませんが、少なくとも、株主総会の様子からは、とても非情で無機質な人たちに見えます。
一方で、黒部で見た当時の様子では、関電の幹部はこの工事の困難さ、場合によっては人命が失われることも覚悟していた様子がうかがえます。頻繁に現場に足を運び、叱咤激励する様子が残されていました。今、東電幹部がすべきことは、まずは現場に行き、最大限の環境改善や、心からの叱咤激励と感謝の意を示すことだと思います。
暑くなると、空調のありがたみを実感します。私はもちろん脱原発派ではありますが、現実的に蒸し暑く、風も吹かない東京で冷房なしで過ごす自信はありません。そう思うと、先人たちの犠牲や、今この暑い中で放射能と向き合っている人たちのことを思わずにはいられません。