今朝の日経1面に掲載されていた、経済学者ジャック・アタリのインタビュー記事。
感染症については、すでに多くの経済学者が警鐘を鳴らしていて、それが価値観やルールを変えると論じています。「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリも繰り返し論じていました。
ジャック・アタリのインタビューからいくつか抜粋。
「危機が示したのは、命を守る分野の経済価値の高さだ。健康、食品、衛生、デジタル、物流、クリーンエネルギー、教育、文化、研究などが該当する」
「権力の変容が起こるとみている。歴史上、大きな感染症は歴史の変容を生んできた。例えば、15世紀ごろにはペストの発生を機に教会から治安当局に権力が移った。感染症を隔離するなどの力を持ったからだ」
「その後の感染症で、人々は、科学が問題を解決すると考えるようになった。治安当局から医学への権力の移転だ。これまで我々は、この段階にいた。新型コロナの対策では、テクノロジーが力を持っている」
ペスト級の感染症は、何世紀も起きなかったため、「生命や暮らし」は、政治の中でも優先順位が下がっていたことは否めません。むしろ、治せない病が政治課題であった時代の方が、いざという時への蓄えや迅速性を、政治(おかみ)が意識していたと思います。今回、政府は、資金が無いことを理由に、「隔離」に失敗しました。無駄遣いを重ね、皆が預けた税金が、いざ命を守る段階になって、「ありません」と開き直る始末。この事実をしっかり認識し、政治や官僚機構にNOを突き付ける時期に来たと思います。
ジャック・アタリのインタビューは、こう締めくくられています。
「日本は、危機対応に必要な要素、すなわち国の結束、知力、技術力、慎重さをすべて持った国だ。島国で出入国を管理しやすく、対応も他国に比べると容易だ。危機が終わったときに本は国力を高めているだろう」
コロナが始まったとき、私もそう思っていました。祖父の予言当たりか!?と思いました。しかしながら、毎日失望の連続です。海外の経済学者が見ているのは、過去の日本。先人たちの積み重ねた財産がある日本、東日本大震災の後でも、これは残っていました。が、これだけのものがあっても、使いこなせず、どんどん悪い状況に持っていく今の政治家たち。それに失望して、結束を弱める社会、この締めくくりだけは、その通りにならないという危機感を持っています。
そういう日本で、どう生きていくのか、一人ひとりが生き方を考える時期に来ています。