ゲルハルト・リヒター展に行ってきました。猛暑日には、涼しい美術館で過ごすのが快適です。
現代アートの大家で、日本でコレクションしている美術館も多いので、単体の作品としては見る機会の多いアーティストだと思います。作品単体の素晴らしさは言うまでもないのですが、今回感銘を受けたのは、その展示方法でした。
リヒターは、展示する際に、場所の指示や寸法まで細かく指示をする画家として有名ですが、まさに”美や細部に宿る”を実感する展示です。
代表作の一つである「ビルケナウ」写真にペイントを施す手法を確立している彼(東ドイツ出身)に、ホロコーストの写真が持ち込まれ、それをアートにする過程で生まれた作品です。
あまりの衝撃に、元画像を残すことが出来ず、こういった作風になったそうですが、この部屋には同じ作品が対になって展示され、その間にガラス窓のスペースがあります。対になっている作品は、オリジナルのプリント、ガラスに映るのは、作品を見ている人間たち。繰り返される戦争とそれに惑う人間の姿そのものを感じる展示との意図だそうです。会場には、もともとの写真も展示されています。
一点してカラフルなボードが複数展示されている部屋には、鏡が設置されています。その鏡の前で写真を撮るとこうなります。
カラーボードを何だと捉えるかはその人次第ですが、多くの要素に囲まれている状態をこの鏡の前に立つことで実感できます。
私は、美術館に行くのがとても好きですが、作品そのものと同じぐらい、展示の仕方と案内のナレーションに興味があります。そのきっかけは、モネの作品をパリのマルモッタン美術館で見た数年後に、上野の美術館で見たことでした。静かで熟慮された作品を見ることと、騒がしい中、ただ展示されている作品を見るのとでは、まるで異なる記憶になることを実感したのです。
これもまた、五感の一種かな、と感じます。ここまで気を遣わず、残念な展覧会もある中、この展覧会は本当に素晴らしい。ちなみに、先日までサントリー美術館で北斎の展覧会がありましたが、シドニーで見た展覧会の方がはるかにレベルが高く、せっかくの日本なのにとちょっと残念な気がしました。
スパでのトリートメントを説明する際、私はよくお茶のことを引用します。ペットボトルで飲むお茶も、家で淹れるお茶も、茶室でいただくお茶も、茶葉を使って作る飲み物という点では同じ。でも残る記憶はまるで違う。アートはそれ以上かもしれません。
人の手が体に触れるマッサージには、本当に多くの種類があります。手技はもちろんですが、場所も施術者も千差万別です。そして、ゲストが感じる満足度も大きく異なります。
スパの空間を作るとき、サービスのプロトコールを作るとき、ゲストに説明する文言を作るとき、それぞれにどこまで想いを込められるかだな、といつも感じます。オープンまでも大切ですが、オープンしてからはもっと大切。
90歳にして、新たな手法を生み出し、自身の展覧会の完成度にこだわるこの巨匠の展覧会とみて、また新たな学びを得ました。