日本経済新聞の私の履歴書に、元上司の魚谷雅彦さんが登場しています。最後の役職は、資生堂のCEOでした。様々な活躍をされた方なので、商品の詳細についての言及は無いと思っていましたが、昨日は”ジョージア”、本日は“爽健美茶”と在籍中に私が担当していた商品そのもので1日分を書かれていたのには驚きました。マーケティングの本を書かれた際にも、多くのページを割いておられたので、よほど印象に残っていたということなのでしょう。
残念ながら、ページを割いていただいている割には、内容がかなり事実とは異なっており、若干成功自慢のようになってしまっていて、読者にとっては学びがありませんでした。エイエイオーで成功したんだぞー!と言われても、まさにSO what?と言いたくなります。
チャレンジには不安と勇気の両方が必要です。成功が約束された商品が生き残ることはむしろ稀で、ヨロヨロと立ち上がった商品ほど強いものだ、ということを、当時の経験で実感しました。チャレンジしている人、日々悩みを抱えつつも前に進もうとしている人に、何か参考になればと思いつつ、今日のブログを書きます。
私が日本コカ・コーラに参画したころ、組織を大きく変えて日本発の商品を構築しようとしていました。そのトップとして招聘されたのが魚谷さんでした。今では考えられないようなことですが、戦略系コンサルタントのセカンドキャリアが無い時代で、経営企画室のスタッフとしてならまだしも、商品を担当させてもらえるポジションに付けることはまずない、という時代だったのです。
BCGで消費財のマーケティングプロジェクトを担当することが多かった私は、マーケティングの専門家のような立場を築きつつあったものの、これで良いのか?とモヤモヤした気持ちを抱えていました。それは、自分で商品を成功させた経験も無いのに、どこまで役に立つ助言が出来るのかに疑問を感じていたからです。コンサルなんだから問題無い、という方もおられましたが、私自身は今一つ納得がいかず、数年で良いので、現場の仕事を経験したいと考えていました。
そんな時にヘッドハンターから紹介された案件が、日本コカ・コーラのブランドマネジャーのポジションでした。お話があった頃は、多くのポジションが空いており、お茶か新カテゴリーか、と問われ、私はお茶を選びました。そして、この後、爽健美茶と紅茶花伝ロイヤルミルクティーを立ち上げていくことになります。
爽健美茶は、私が入社した時にはすでに原型がありました。当時のお茶は、物性でカテゴリーが分かれており、中国茶系は茶流彩彩というアンブレラがあったので、茶流彩彩爽健美茶という、何と漢字8文字の重いパッケージでした。これは、ボトラー社のリクエストで作られた商品だったようで、パッケージデザインについても予算が無く、緑茶のパッケージの色を変えただけ、ネーミングも、外部に頼む費用が無くて、内部で考えたという代物でした。
入社直後に呼ばれて、商品の感想を聞かれた際、面白いと思う、と答えたところ、”BCG出身者の発言とは思えない、あれはやっつけ商品でリサーチすらしていないんですよ、北九州のエリア限定商品なので、まずは廃番にして、すぐにこれに代わる商品を作りなさい”との指示が飛んできました。
競合商品を十六茶という既存のブレンド茶に設定してあるリサーチ結果を見ると、味覚テストでは有意差をもって負けている・・。確かにこれでは正当化できない。ただ、リサーチ結果は対象者によって結果はいくらでも変わります。この調査も、十六茶のユーザーを対象にしていて、どちらかと言えば、ボディ感のある味を好むユーザーを対象にしているように見えました。もっと薄味を好むようなターゲットでテストすれば、いくらでも結果は変わるでしょう。
私に与えられた予算は、この商品を廃棄する費用のみでした。こういったものは廃棄するにも費用がかかるのです。ある程度量があるので。廃棄=倉庫費用を無くす、という説明を受けたので、今後のリサーチのためにサンプリングをしてみても良いか?と確認したところ、小規模であれば問題無いとの回答を得ました。そこで、知り合いのモデル事務所に送り、十六茶との比較テストをゆるっとやることにしたのです。送ってしばらく経過してから、感想を聞きにいくと、予想通りの答えが返ってきました。十六茶は苦みがあって飲みにくい、この商品の方がゴクゴク飲める、東京では見かけないけど、どこで買えるの?との声。
可能性ありだと思い、再活性化のプランを出そうと資料作りを始めたとき、広報から電話がかかってきました。ファッション系雑誌の美容特集に、爽健美茶が紹介されており、お客様から問い合わせが来ている、地域限定商品を出しては困る、という内容でした。どうも、撮影時のモデルの間に出回り、美容関連の取材で取り上げられてしまったようなのです。
あちこちお叱りを受けつつも、可能性を感じて、そこから全国発売に向けての段取りを組むことにしました。が、まずは社内予算の獲得は大変だわ、売れたと思ったらセブンイレブンに越冬ブランが無いと叱られるわ、ハト麦は足りなくなるわで、大変になるばかり。数十年たって”大成功商品”と語られる商品の現場はこんなものです。
それでも、まだCMをもらえた商品は良かった。
紅茶花伝ロイヤルミルクティーについては、不憫でなりませんでした。この商品もまた、ボトラーリクエストで生まれた商品でした。(こちらは近畿)オーダーは繰り返しあったものの、開発しないと決まっていた段階でした。が、当時の紅茶は、キリンの午後の紅茶一強で、自販機の数だけで勝負していたこちらには、ほぼ勝ち目がありません。なので、何か切り口が見つかれば、ぐらいの気持ちで、”私やりまーす、と手を挙げて、開発してみることにしました。本当に暑い夏のことで、研究所までの往復が本当に辛く、暑い中、砂糖が入っている商品の試飲は地獄だ、と思ったものです。。開発者は女性でとてもセンスのある方でした。思い切って作っていいなら、量を減らしていい材料を使いたい、との話になり、280gにすることにしました(それまでの商品は350g)ボトラーリクエストで終わるかもしれないし、大して売れないなら何でもありだよね~と笑いながら生乳を使って上質なウバ茶を使って、とまさに自分たちが飲みたい商品をルンルン気分で作りました。商品企画書を提出したところ、財務経理から、”コストガイドラインを超えている”と呼び出しがあったのですが、地域期間限定商品なので、ボトラー社との関係強化アイテムとして扱ってください、と申請しなおして発売しました。
発売時も予算が無く、当然モデル(無名でも)の採用は無理。商品ショットしか撮影出来ません。それをボトラー社に伝えたところ、それでいいよ!と言っていただき、大量に発注がありました。どうするのかな?と思っていたら、何と新幹線の駅の構内の自販機はすべてこの商品。一台まるごとこの商品。そして構内のポスタースペースはすべてこの商品ショット。
やっと納品した~、少し夏休み欲しい~と思っていたら、他のカテゴリー担当者からクレームの電話。そう、なぜかいつも、頑張った後にクレームの嵐なんです。
で、これがまた大ヒット。ちっとも嬉しくない。だって、超高コスト商品で、おまけに猛暑で牛の乳が出ずに生乳が無い、これは相当ヤバいかも。なんだか私、この会社と相性悪いかも・・、と真剣に悩みました。ちょうどそのころ、爽健美茶の全国発売の話が進んでいたこともあり、売れそうなお茶商品に乗りたがるボトラー社が増えてきた流れもあり、なぜかこの商品も全国発売。いやいや、それは勘弁してくれ~、と本当に泣きそうでした。
でも、ここまで売れたなら、CM作れるかも、という欲があり、密かに案を練り始めました。ロイヤルコペンハーゲンをパクったとしか思えないデザイン(一応OKだったらしい)が大好評だったこともあり、商品中心。ポイントはオルゴールの音色です。こっそりサンプル音源を作ってもらい、この缶のパッケージ自体がオルゴールでくるくる回る、というシンプルなものでした。今でもこの音楽を口ずさむことが出来ます。それだけ気に入っていた企画でした。
これだけ売れているんだし、さすがに広告費もらえるかな?と期待していましたが、なんとNG
当時、魚谷氏とその超側近が力を入れていた乳製品飲料のラクティアの不振が続き、とにかくやたらと費用を投入しまくっていました。そのために、あらゆるブランドから追加予算を召し上げて投入している真っ最中。ええっ、でも、この商品売れるし、私の申請額は、ラクティアの1/10以下だし、それでもダメですかねえ、とさんざん交渉したものの、どうもこれは理屈ではないらしい、というただならぬ雰囲気を感じて断念。それから30年経った今、紅茶花伝ロイヤルミルクティ―は生き残っており、時折CMも見ます。十分素敵なおべべを買ってあげられなかったけど、美人さんに育ったのね・・と母のような気持ちで見守る日々です。
消費者の意見を聞く場として、グループインタビューがある訳ですが、このインタビューにどう臨むかがすべてを決めます。実は、BCGから日本コカに転じた理由の一つが、このグループインタビューにありました。多くのブランドマネジャーは立ち会わずにリサー資料を読んで企画書を書いているのです。が、ターゲットの設定、目の前で語っている人の表情など、結果をまとめた紙ではカバーできない重要な情報が現場にはあります。かつ、間接的になればなるほど情報は変わる。それを実感していたので、コンサル時代に、時間の使い方を変えて、グルインに参加して欲しいとアドバイスしたことがあります。その時に、”現場の仕事の大変さを知らないくせに、コンサル様は口だけで羨ましい”と某社のマーケ部門のトップが言ったのです。相当に勝気だった私は、その言葉を聞いて、自分が商品を手掛けられるようになったら、すべてのグルインに出る、と心に決めたのです。在籍中やり切りました。
爽健美茶と紅茶花伝のこの2つの商品ですら、ターゲットは大きく異なっていました。たかだか100円ちょっとの飲み物なのに、感情移入がすごい!それに胸が震えるほどの感動を覚え、彼ら彼女の心に響く届け方をしたいと思いました。
他のブランドのグループインタビューにも同席させてもらい、感じたことがあります。
ガラスの向こうでは、かなり辛辣な意見が出ることがあります。正直とても辛いです。が、担当者によっては、その意見を聞きつつ、相手を非難し続けるのです。”あいつはターゲットじゃない””馬鹿っぽいよなあ””こんな対象者何で呼んだの?調査会社のチョンボでしょ?”などなど。
ええっ、それってあり?と驚きの連続。
そして気が付いたのです。大量に予算を投下しても売れない商品の理由。いくらでも軌道修正できるのに、相手を否定し続けて突っぱね続けて大失敗。ああ、これじゃ売れないわ、と納得しました。
ずっとお茶のカテゴリーいたいと思っていた私ですが、商品がヒットした後、ジョージアチームに”左遷”されました。缶コーヒーが飲めない(嫌い)な私にとっては、もう退職希望ものの異動です。商品開発は本当に辛かった。体に悪い、自分が信じられない商品を世に出すことについては本当に悩みました。
前任者が担当した”やすらぎパーカー”が3400万口を集めましたが、その上の数字を経営幹部に望まれたことで疲弊し、その後釜として急遽呼ばれました。結局”がんばってコート”で4400万口を集め、ギネスにも申請されて成功を収めることになります。が、面白かったのは、その後。本社は、この4400万口を分析しろと言ってきたのです。予算の金額も凄まじいものでした。コアユーザーのファンミーティングも全国で開催しました。缶コーヒー嫌いの私でしたが、この商品を愛飲する人の素顔を知り、もう少し愛情を込めればよかったかな、と反省もしました(笑)
これが1995年~1997年の出来事。インターネットが無かった時代のマーケティングです。が、顧客を理解しようと思えば、やり方はある、否定されること、対話を恐れてはいけない、熱意があれば(予算が無くても)助けてくれる人が現れる、と日々実感していました。結局、これらが面白すぎて、BCGに戻ることは無くなってしまいました。
色々ありつつも、充実した日々を送っていた日本コカ時代。良いことが多かったと思うのですが、大反省や後悔もあります。それは、入社直後、直属の上司(魚谷さんではない)に、”あなたの付加価値は何ですか?”と発言したことです。BCGでは、ごく普通の、いえ、どちらかと言えばマイルドな表現のつもりでした。が、彼は大ショックを受けたらしく、そっこー人事から呼び出しがありました。
そんな超不愉快な部下だったのに、上司は本当に温かく育ててくれました。ロジックだけでは商品は作れない、最後の直感をどう磨くかが大事、と言い、多くを伝授してくれた上司。稀代のヒットメーカーでもありました。こうやって時を経ると、一つ一つの技術より、チームワークやリーダーシップについて思い出すことが多くあります。どんな環境にあっても、人の気持ちや考えが結果を変えるのです。