フィンランドのイッタラ村に行ってきました。イッタラ(現地では、イイッタラと発音するようです)、そうシンプルなデザインが人気のIittalaです。我が家でも、大活躍しています。
ブランドとして興味を持ったのは、鳴海製陶のアドバイザーを務めた時期、器について学んだことがきっかけでした。高級食器と百均に市場が分化していく中、幅広い年代において、手の届く贅沢として世界的に普及しており、数少ない成功事例として知られていました。その背景を知りたいなと思っているうちに、富山とのご縁でガラス工房の方たちのお話を伺う機会があり、ますます興味が高まっているうちに、”フィンランド・デザイン”の展覧会が、ミッドタウンのサントリー美術館で開催されたのです。その企画を担っていたのが、長年の友人である迫村裕子さんでした。
”素敵な展覧会でしたね”とお伝えすると、フィンランドのガラスは苦労の末に、ビジネスとしての基盤を作ったこと、イッタラの製品は、ヘルシンキ郊外のイッタラ村でしか作られておらず、この事例は日本にとっても参考になることがあるのではないか、と説明してくれました。
日本のモノづくりは、製造コストが安いところを求めて、すぐに海外に製造拠点を移してしまいます。これは米国のやり方に近く、大量生産・低価格・低コストを求めて拠点を移します。ヨーロッパのプレミアムブランドは、むしろ逆で、技を持つ職人のいる場所にこだわり、それをブランドアイデンティティにつなげています。
それは、日用品でも同様で、フランスのル・クルゼも同じ場所でしか製造しませんし、イッタラも同様。その製造によって、地方の経済が成り立っています。
こういう話をすると、それはヨーロッパだから、歴史があるから日本とは違う、という反論をされてしまいます。でも、このグローバル化のご時世、製造拠点を人件費が高い地域に留めることは、どの国にとっても容易なことではありません。フィンランドのガラスも、試行錯誤の結果、現在のイッタラのビジネスモデルにたどり着いたようです。
そして、その試行錯誤は、単にガラスという一工業製品にとどまらず、ソ連とスウェーデンの間で翻弄され、社会主義国と西側諸国のどちらに属するのか、という国の運命をも左右するものでした。そんな中から、カイ・フランクやアアルトの名作が生まれます。これらの名作は、戦後の耐乏生活や物資不足の中から誕生したというのも興味深いところです。大量消費に世界が動く中、質実な実用の美としての方向を見出していきます。
その場所を見てみたいと、1日かけて出かけてきました。
まずは、ヘルシンキの駅を出発
タンペレ行きの近郊列車(commuter trainと言われました。通勤列車ですね)、の各駅停車版に乗っていきます。数本しか出ないので、2~3時間おきに1本という頻度。ヘルシンキの街を抜けると、ず~っとこういう風景。
その名もIittalaというところで降ります。もちろん無人駅、というか駅舎もありません。
降りたらこの看板が目印。あと人が数名降りたので、とりあえず付いていきます。
見えてくるのが、この建物。この裏手に工場があります。
ミュージアムはとっても素朴。アアルトの名作の型(昔は木型だったそうです)が展示してあります。
イッタラには、いくつかの代表的な製品(商業的にも成功したという意味でも)がありますが、それぞれの時代を担ったデザイナーごとに、製品が展示されています。大量生産をするメーカーで、ここまでデザイナーの個性を重視し、コーポレートブランドと融合させ続けている例は、あまり見たことがありません。結果論なのかもしれませんが、非常にうまく機能しているように見えます。
付加価値化を目指してアート的な取り組みのチャレンジをしつつ、持続性を重視しているあたりが、フィンランド的なのだな、と感じます。
社員さん用なのか、住みやすそうなお家が並んでます。
敷地内にはアウトレットが併設されていて、日本人女性のグループがバスで来ていて、お買い物&ランチで帰っていきました。通常はこのコースなのだと思います。せっかくの器なので、カフェはもうちょっとレベルが高いといいかなあ、なんて思いましたけど(笑)
今、デザインのオリジナリティとか、地方創生が話題になっていますけど、”オリジナリティ”を作ることが、どれほどの試行錯誤を必要とすることか、自分たちの場所(国とか仕事とか)を守ることが、どれほど厳しいことか、この穏やかな田舎の街で、澄みわたる青い空を眺めながら、しみじみ考えてしまいました。
日本のモノづくりについて、いくつか私が疑問に思っていたこと、迷っていたことに、答えを出してくれた一日でした。