BCG時代の恩師である、内田和成さんが早稲田大学の教授を退官なさることになり、その最終講義と記念パーティーがありました。ご案内のレターをいただきましたが、その発起人が凄い!政財界+学会と本当に多岐にわたる錚々たる顔ぶれです。かつ、どなたも、内田さんとかなり親しい方たち。事務局を、早稲田のゼミ生が務めているあたり、ほっこりします。
最終講義は、「プロとして生きる」をテーマに、1時間半のお話と質疑応答がありました。内田さんご自身のキャリアのこと、コンサルタント時代のお話があった後、100年をどう生きるか、について投げかけがありました。100年の人生を俯瞰して、逆算してそれぞれの年代に何をするかを考えれば良い、との内容でした。その流れから、転職にやや反対する考えが少し変わったとの話もありました。
内田さんと仕事をしたのは、22歳~30歳。BCGでの8年間、多くのプロジェクトに入れていただきました。当時のBCGは、男性理系コンサルスタッフが人気があり、女性で数字弱い系の私は、プロジェクトリーダーから見れば、使いにくい存在でした。そんな中、救いの手を差しのべてくれたのが、内田さんだったのです。マーケティングを一から教えてくださり、クライアントとの接し方、ストレスマネジメントの仕方、会社の辞め方まで、何から何までお世話になりました。退職してからも、何かと相談に乗っていただいていました。
私なりに、道を模索して進んでいたつもりでしたが、ウィンザーホテル洞爺の再建のために北海道に行ったときには、さすがに”お~い、どこに行く気だよ~”と感じておられたようで、随分心配をかけました。多分、この転職にはあまり賛成なさっていなかったのだと思いますが、それでも、シャガールのリトを開業祝いに贈ってくださいました。スパの事務所に飾り、元気のもとにしていました。(今は我が家にあります)その後、シーガイアのリニューアル後のパーティーに、奥様とお越しいただくことが出来たのは、本当に良かったと思っています。BCGの皆さんには、ウィンザーもシーガイアもアウティングで使っていただきましたが、内田さんはじめ、幹部の方々の後押しあってのことです。本当に感謝の気持ちしかありません。
さて、この100年を俯瞰して、計画を立てるとのお話ですが、実は私自身は、起業したときに考えました。正直言って、もともと会社というより、NPOか何かにしたいと思っていたので、仕事・事業というより、自分自身のライフワークとして考えたからです。100歳までは考えませんでしたが、40歳ぐらいで起業し、同じ年月、つまり80歳までは活動するという計画を立てました。
私が軸として考えたのは、人と自然にどう向き合うか?ということでした。多分、10年のスパンであれば、スパの事業をどう最大化するか、という計画を立てたと思います。M&Aをして事業売却というシナリオもあったと思います。でも、40年のスパンで考えると、もっと長期的で自分自身のありようとシンクロすることが必要になります。長い時間をかけても、飽きることなく、更に深めていけることとして、日本全国の自然の恵みを知り、楽しみつつ事業化できないか、と考えました。この時点では、何のあても無かったのですが、これが結果的にALL THAT SPAに繋がっています。
むしろ、最初に考えていたのは、人の育成でした。ウェルネス・アリーナは、スパセラピストのスキルアップの場として、最初はスパアカデミーからスタートしています。現在は、社内向けのカリキュラムになっていますが、いずれ新しい形で外部向けもスタートさせたいと考えています。
BCGから事業会社でのマーケティング、ファンド、企業再生と、かなり激し目のお仕事人生を歩んできて、40歳で考えたことは、学び続けられる環境に身をおくこと、仲間を増やしていくことで、あと40年過ごしていきたいということでした。で、何を学ぼうかと考えたとき、私のように反発心が強い人間は、圧倒的なものに対象を求める方が良いと思ったのです。それが自然でした。植物はそれぞれに本当に深く、機能にも美しさにも感動の連続です。自生しているところ、蒸留しているところに行くことは、本当に楽しい。それを多くの人が使えるように商品化することも、また楽しい。
恩師のお話を聞いていて、今の私を後押ししてくれていると勝手に喜び(笑)、この調子で前に進みたいと思った日でした。