昨日の日経(首都圏は夕刊)の”キャリアの軌跡”という欄に掲載していただいたこともあって、昨日~今日と懐かしい知人からの連絡が相次いで、色んなことを思い出しました。
中でも強烈に思い出したのが、日本マクドナルドの創業者であり社長だった藤田田さんのことです。記事の中にも取り上げられていますが、田さんには、アドバイザーをお願いしていました。大変著名な経営者でいらっしゃいましたので、年に一度、ご挨拶でお目にかかれるだけでも御の字、と思っておりましたが、事業内容に興味を持っていただき、折につけ声をかけてくださるようになりました。この”折につけ”は、私にとって大変楽しい時間でした。禅問答のようなやりとりをいつも数時間行っていましたが、その中で、事業計画での見落としがないか、内容を本当に把握できているのかなど、名経営者から稚拙な経営者駆け出しへの貴重な授業だったように思います。
そんなやりとりが続いていたこともあって、事業縮小・撤退という意思決定がなされたといには、情けなくも申し訳なくも思い、お詫び兼ご報告に伺うわけですが、ここで、田さんの思いもかけなかった一面に触れることになります。
その翌日から、ほぼ毎日会社にお電話をくださるようになりました。”眠れているか””食事はとっているか”という本当に短い会話でしたが、この毎日の電話にどれほど救われたかわかりません。この時期、色んな形で支えてくださる方々がおられましたが、田さんのサポートは自分で事業を興し、紆余曲折を経て事業を確立された方ならではのものがあったように感じました。
何とか会社整理の目処がたったとご報告に上がった折、今後のことを聞かれました。正直言って、心身ともに疲れ果てており、今後のことを考える余裕もなかったため”当分仕事はしないと思います”と答えました。”それはそれでいいと思うよ”、とおっしゃった後、でももし何らかの仕事をするならば・・といくつかのアドバイスをくださいました。この出来事があった後、旅行をしたり、INSEADに行ったりと、仕事から離れた日々を送っていましたが、仕事に復帰しようと考えたとき、そして現在に至るまで、いつもこの時の会話を思い出します。
ウィンザーでホテルの仕事に就いたとき、少し元気になったこと、北海道のホテルの再建に取り組んでいること、オープンしたらぜひ来て欲しいこと、などを綴った手紙をお送りしました。ほどなく事務所に田さんからお電話をいただきました。”で、貴子さんはホテルの人になるの?”とやや不思議そうでした。翌年6月のホテルのオープンの時、何とかお目にかかりたい、ホテルを見ていただきたいと思って、招待状をお送りしました。出席できない、との残念なお返事を頂戴した後、秘書の方から、実はちょっと体調がすぐれないんです、との連絡がありました。
その後、ほとんど東京に居ない日々が続き、ちょっと落ち着いたら挨拶に行きたい、と思っていた矢先に訃報を耳にしました。
多くの出会いやサポートを得て、昨秋会社を興して、早くも1年がたちました。まだまだこれからですが、、着実に一歩一歩進みつつあると思います。夢を実現させたいという思いはあっても、会社を興そうと決心するまでには、本当に多くの葛藤がありました。
あの時、田さんに”もし仕事をするなら”と数々のアドバイスを頂戴することが無ければ、今回起業することはまず無かったと思います。出来の悪い生徒が少しは進歩したと言っていただけるよう、少しずつ思いを形にできればという思いを新たにしました。