日本の強みとして挙げられる”おもてなし”。オールザットスパオオサカのテーマとして”日本のもてなしを世界に発信”を掲げています。
では、”もてなし”とは何か?私はこれぞマーケティングそのものだと考えています。もてなしは、相手を想い、一歩先のサービスをすることです。まるでかゆいところに手が届くように。この究極のサービスは”予測”無しには成立しません。そして予測するには、多くの事例(経験)と分析を重ねていくしか無いのです。
日本人の優れているところは、これを無意識にやれる、ということなのでしょう。いえ、だったのでしょう。日本の芸事は、”教えてもらう”ではなく”技を盗むこと”だとよく言われます。今のように、教えてもらって当たり前、大学生になっても手取り足取り就職の仕方まで教えてもらっているようでは、この日本の強みも失われてきていると痛感します。
私自身、書道や茶道を学ぶ機会があり、技を盗む、気働きなど、やや徒弟制度的な雰囲気の中で育ちました。自分にはあまりその要素が無いと感じていましたし、芸術性や創造性に至っては、本当に絶望的に素養が無いと思っていました。ただ、やる気はあるのに、上達のステップが見えないのもどうなのか?と疑問に感じていたのも事実です。
社会人になり、コンサルティング会社で分析という手法を知り、コカ・コーラでリサーチや企画の業務に携わるようになると、”センス”とか”気働き”といった要素のかなりの部分は、トレーニングで習得できる、ということに気づきました。一見ふわふわした事象を因数分解できると気づいたとき、ぱっと目の前が開けるような感動を覚えたものです。
日報作成、月報の作成、定例のミーティング、企画会議、技術研修、メニュー作成など、一連の業務の中、データの解析などを通じて、実は無意識のうちに、マーケティングのプロセスを経ています。繰り返し投げかける”なぜそう思うの?””昨年のデータを送って””実施したアクションの結果は?”の問いに答えることを繰り返して数年たつと、見事なデータ分析と年間計画を提出してくるようになります。そしてそれは、深いゲストの理解に基づいたものです。
最高のもてなしができるスタッフを育成することは、実は最高のマーケターを育てることだ、というのが私の信念であり、当社の価値の神髄だと思っています。逆に言うと、こういったデータへの興味や、”なぜ?”と考えることができない、という頭の固さを持っている人は、あまりサービス業に向かないと感じています。理解や好奇心がゲストとのキャッチボールになり、”私のことを理解してくれている。来て良かった。”というゲストの体験につながると思うからです。
私は、”先生”としてマーケティングを教えることはしません。教壇に立つことやセミナーの要請を受けるのですが、そもそも”どうすればもっと良いサービスを提供できるのか”という悩みに真剣に向き合ったことの無い人にとっては、どれほどの”ツボ”を含んだ話でも、単なる”面白い話”か”面白くない話”でしかないのです。その意味で、ゲストに最高のサービスを提供したい!という想いで、入社してくる当社の社員の成長は、本当に楽しみであり、その教育は私にとって最もやりがいのある仕事なのです。
もてなしへの興味から、茶道や利休にまつわる本を読む機会が増えました。今は、花嫁修業の一環のように思われている茶道ですが、その成り立ちの時代には、命をかけた企画勝負のもてなしでした。戦国時代、茶花ひとつ、器ひとつに隠れたメッセージがあり、懐石料理の椀の味付け一つが心を許させるものになるか、敵意につながるか、という儀式です。
可能な限りの情報収集を行い、その限られた情報の中から、仮説を立て、一世一代の勝負に出る。この時代に作られたもてなしの神髄こそ、究極のマーケテイングだと思うのです。