サントリーのCMが炎上しているようで、早期に放映を取りやめたことで、”不快””気にしすぎ””すぐに取りやめるなら最初からやるな”など、色んな意見があるようです。FBなどで拡散している画像を見てみましたが、私の感覚だとアウトです。
この広告を見ていて思い出したのが、日本コカ・コーラで広告やプロモーションプランを作っていたときのことです。コカ・コーラのコミュニケーションに関するルールは厳しく、”差別””暴力””性的描写”はアウトです。米国で、ペプシが若者に訴求するためにややきわどい表現をした際、たとえ退屈だと思われようとも、王道を行く広告をやめなかった会社なので、そのポリシーはかなり明確だったのだと思います。(現状はわかりません。これは、トップの方針で変わることもあるので)
私が担当した商品で、議論になったことが数回ありました。まずは爽健美茶。背中の露出が大きい初期の広告については、”性的描写”にあたるのではないか、と何度か説明を求められました。この商品のターゲットや広告の事前調査のコメント等を提示し、承認をもらいましたが、国によっては許可できないと言われました。
次に問題になったのが、缶コーヒーのジョージア。女優が語りかける人気シリーズを途中から引き継ぎました。すでにフォーマットは出来ていたため、問題なくアップデートできると思ったのですが、これも簡単ではありませんでした。指摘のひとつは、”ブランドと特定のタレントのイメージを固定化すべきでない”ということ。すぐにタレントを起用する日本の広告の考え方とは真逆の考え方です。ブランドは長期にわたり生き続けるものであり、タレントの価値よりはるかに上である、というポリシーに基づいています。もう一つは”性的役割の固定”への異論でした。これが”差別”にあたるという考え方です。これには正直かなり驚きました。もう20年以上前のことです。つまり、男性=頑張る人・社会で活躍する人、女性=それを支える人という描写が長年にわたり固定し続けることが、ブランドとして不適である、という指摘でした。
”これは人気のキャンペーンであり、支持されているから継続したい”、と説明したところ、だからこそ、企業側は社会への影響を考え、より慎重に判断すべきだ、との指導を受けました。ジョージアのこのシリーズは、缶コーヒーのステッカーを集めて応募し、コートが当たるプロモーションと連動していました。初年度で3,400万口の応募があり、私が担当した二期目では、4,400万口の応募がありました。これはギネス記録になっており、今でも破られていません。激戦の缶コーヒー市場で大きくシェアを伸ばし、ビジネス的にも成功した企画でしたが、この広告のフォーマットも、プロモーションの方式も、この期をもって終了となりました。これにも企業戦略の観点と、社会的企業責任についての判断がありました。
会社にとって、重要な商品のキャンペーンだったため、社内の日本人幹部、外国人幹部、ボトラー社、本社、本社が雇ったコミュニケーションのコンサルタントと、あらゆる立場の人が介在してきました。深夜まで連日働き続け、切羽詰まっていたため、これらの介在が邪魔で窮屈で仕方無かったのです。いやもう、あなたたち、サポートしてんの?邪魔してんの?と疑問に思うこともしばしば。でも、この時の経験は、本当に得難い学びの場でした。ギリギリの意思決定の中でしか、会社の価値観は見えてこない事もあるからです。そして、コミュニケーションの底にある、守るべき原理原則も、強く印象に残りました。
今回のサントリーのCM, セリフや描写が不快であるという指摘が多く寄せられたそうで、これは個人の感覚により色んな意見があると思います。が、私が気になったのは、このCMで描かれているシーンの背景です。男性が日本各地をめぐり、その土地で迎えてくれる若き女性たちと飲み屋に行く、という設定は、まさに”性的役割の固定”の問題にあてはまるのだと思います。
日本という男性優位の社会の中では、かろうじてOKかもしれないと思いました。しかしながら、サントリーがグローバル化を進めるなら、完全にNGです。このCMを制作する過程の中で、マネジメント層が違和感を感じなかったとすると、それはかなりの驚きです。(コンサルタント雇った方が良いかも)商品開発も、デザインも、優れた会社ですが、とても残念な気がします。
このCM炎上に関連し、”こんな事をいちいち気にしていたら窮屈な社会になる”というコメントをいくつか目にしました。セクハラが社会問題になり始めた頃、私が勤務していた会社で、同じ言葉を耳にしたことを、ふと思い出しました。それから30年!(綾小路きみまろ風)世の中の常識は変わりゆくものです。