書家である父が、茶掛けの書として、頼まれて良く書いていた言葉なので、とっても親しみがあるはずなのですが、長年間違って理解していました。”わけいせいじゃく”、と入力すると、和敬静寂と、”静”の文字が出てくるので、それで良いと思っていたのですが、実は”清”が正解です。静寂の方が茶室にしっくりくるのに、と実は長年疑問に思っていました。
先日のリトアニアの茶会の準備で、茶道を紹介するプレゼン資料を英語で作っていたとき、いい翻訳に出会い、ようやく合点がいきました。不思議なものです。
お茶の心得のある外国人の方が、和敬清寂を英語で訳すると、和=harmony, 敬=respect, 清=purity, 寂=tranquility と記されていました。そして、このtranquilityの先に、悟りがあるのだそうです。ちなみに、悟りはenlightenmentといいます。
スパに関わる人間が良く目にする英語が勢ぞろいしています。この気持ちになりたくて、人はスパのトリートメントを受けます。この概念は、外国人の方が強く、スパと、精神的な癒し、ZENの概念は、共通のものとして認識されています。
寂をtranquilityと訳されていたのに、衝撃を受けました。繋がりたがる、群れたがる風潮がある中、まさに目からウロコです。
そして、もう一つ気づいたことがあります。
この四字熟語、和敬と清寂で、2つの段階に分かれているのかな、ということです。
清らかで心静かなひとときを持ちたいと願うとき、その前に、周囲のひとたちとの和があるのでは?と感じたのです。周囲を見ずに、自分だけが安らぎやとか悟りを得られるものではなく、まず、和やかな場と、周囲の人を大切に想う段階を経るものなのではないか、と解釈しました。
茶道の言葉は、もともとが禅語なので、本当に深いです。
深いと言えば、もう一つ。人に伝えたいと思うと、書物に向き合って調べたり勉強したりします。自信が無かったり、未熟だと自覚している領域ならなおさら。こういう地道な時間は、大切だな、ということです。ネットで検索するより時間がかかって、効率が悪いな、と思うときももちろんあります。
でも、自分だけの解釈、自分なりに、気づきが得られた喜びは、何物にも代えがたい。私のひそかな楽しみです。