KUSHIのデトックスコースで、色んな食材や調理法を学んだ後、最後の最後で出たのが”でもストレスには勝てない”との一言でした。そう、ハッピーに食べるほどのごちそうはありません。
私が食事の有難さを心底感じたのは、大学時代の家庭教師先でした。東京で一人暮らしを続け、3年目に入ったとき、先輩からある高校生の家庭教師を引き継ぎました。国分寺エリアに住む、ある著名な作家のお嬢さんでした。住んでいたアパートからは自転車で10分ほど。のどかな多摩の家庭菜園を抜けてのんびり週に2回通いました。
”奥様がお料理上手でね、とってもおいしいの”。そう、こちらの家庭教師は夕食付きだったのです。初日ご挨拶に伺った日、奥様が見せてくださったのは、新しいお茶碗とお箸でした。”これは先生のお茶碗ですよ。気に入っていただけるといいのですが。”あまりに嬉しくて、弾みながら帰路についたのを今でも良く覚えています。気楽なようでも、やはり今思うと一人暮らし一人の食事は寂しかったのだと思います。
著名な作家の奥様、ということで、有閑マダムを想像していたのですが、フルタイムのお仕事をされている多忙な方でした。でも、玄関には枝物のみごとな季節の花が生けられ、食事はいつも心のこもった美味しいものでした。夕食の後に勉強し、その後、デザートでお食後でした。北海道好きのご主人が大量の蟹をかかえて帰宅された日は、授業以外の日でもご馳走になっており、週の半分は出入りさせていただいていたと思います。
普段でも本当に美味しく楽しい食事だったのですが、本当にその有難さを感じたのは就職活動のときでした。まだ自分の道がわからない、本当にそれがやりたいのかはわからないけれど、でも自分を否定されたくない、という曖昧な気持ちのまま、あちこちの会社に出向いては色々言われ、困惑することの多い日々。比較的早い段階にコンサルティングファームに的を絞ったものの、自分は本当に仕事を手にすることができるのか、という不安を抱える毎日を迎えました。
おまけに、この時期、都心からかなり離れた不便な場所に住んでいたため、面接や先輩訪問が終わって帰るともうぐったりしてしまっていました。(この頃から通勤時間は30分以内と心に決めていました)何だか随分否定された気分で、家に帰っても話し相手がいない、という中、一番の救いは、家庭教師先での晩ごはんでした。気持ちが繊細になっている時は、ちょっとした記憶が鮮明に残るものです。おいしくて暖かいご飯もさることながら、”私のお茶碗”が本当にしみじみ心に染みたのを良く覚えています。
面接最終段階で、ややナーバスになっていたとき、奥様は胃にやさしいメニューをいつも気を遣って出してくださっていました。それがとても嬉しく、自分の道を見つけるまで、何とか頑張れるとそのエネルギーを感じていたものです。
仕事を始めてまだ慣れない時期、TVディナー、コンビニご飯、外食三昧と便利さに流れた時期も長くありました。”肉好きだよね~”と言われた時期もかなり長いです。でも、徐々に生活を見直すようになり、今ではほとんど手作りの食生活をマイペースに楽しめるようになりました。(多少は技も身につき)慌しい日でも嫌なことがあった日でも、きちんと食卓に向かえば、不思議とすっきり忘れられます。
食事は物理的に言えば、体への栄養補給でありご馳走なのでしょうが、愛情こもった料理はココロに効く最上のお手入れなのだと思うのです。