私が仕事を続けてきた中で、この人って本当にスゴイ!!と感じた女性が二人います。。一人はBCGの1年先輩で、もう一人はシーガイアのプロジェクトでご一緒した方です。
BCGでの仕事が、何から何までうまくいかず、不満の塊になっていた時期がありました。昇格発表にも納得できず、もう辞めてしまおうと、一度は会社に辞表を出しました。先のことは何も考えず、ただ感情にまかせての退社です。
自分はそれで納得したつもりで、家にいたところ、深夜(12時まわっていたと思います)突然彼女はやってきました。”やっぱり辞めちゃいけないと思う。辛いと思うけど、もう1年がんばったらどうか”と言うのです。色々考えていたらその時間になってしまった、遅い時間にごめんね、との言葉に、頑なだった私の気持ちも徐々に解けていきました。ただ純粋に私のことを考えてくれている気持ちがひしひしと伝わってきて、他人のためにここまでできるものなのか、と驚きの気持ちもかなりありました。
その後、会社に頭を下げ、辞表を取り下げてもらいました。会議が何度も開かれ、大変な騒ぎになったと聞いています。何期が昇進が遅れ、我慢の時期が数年続き、その後で、自分自身も納得のいく評価をいただき、次の道に進むことができました。もちろん、その間、またまたキレそうになったこともゼロではありませんでした。でも、自分ひとりのことではない、と思い直し、とにかくあるゴールにたどり着くまでは辞めない、というのが、唯一の彼女への恩返しのように思えたからです。
その後、様々な経験を経て、シーガイアのプロジェクトに出会います。このプロジェクトは迷走を続け、かなり深刻な状態になった時点で私と女性CFOは参画しました。経緯が色々あるものは、負の蓄積もそれなりにあるものです。それぞれの時点で、それぞれの立場の方が最善を尽くされたと思うのですが、リセットが数回あると、糸がもつれにもつれ、どうにもならない、という状態になったひどい綾取りのようなものでした。
驚くことが続き、自分たちの頭がおかしいのか!?と思うことも一度や二度ではありませんでした。当然外に情報を出せるわけでもなく、相談できるのはごくわずか、という状況の中、答えを見出していくしかありませんでした。
シーガイアのプロジェクトは、いくつかの施策が実を結び、売上・利益の向上に結びつけることができました。マーケティングや営業政策、運営に至るまで、関与せざるを得ない範囲は予想外に多かったのですが、私がbuild系の業務(前に進む方)に専念できるよう、資金手当て、水面下の交渉、法的手続きなどのサポート業務の全てを彼女は全て引き受けてくれました。ほとんど全身で弾を受けていた、と言っても過言ではなかったと思います。
お金がかかりすぎるかな・・、とプランを諦めかけたとき、”何とかするからやりなさい!”と言ってくれたことも一度や二度ではありません。時に泥まみれになり、悪役になりながら、私が進む道を作ってくれました。彼女の支えなしに、あのリゾートの再生は無かったと今でも思っています。
そんな私たちを支えてくれた仲間と、今でも時折食事を共にします。お互いに持つ信頼を言葉にすると”同志”という感じでしょうか。お仕事人生には、時折、大きな舞台や出会いがあるものです。その縁に感謝しつつ、一時の感情で仕事を投げ出さなくて良かった、としみじみ思うのです。
もう人生の半分を仕事に費やしてきて、正直よく続いたな、と思うこともしばしばありますし、40代半ばで、多くの人に支えられ、理想を形にできるようになってきたのは、本当に恵まれていると思っています。時間に追われる中、色んな相談事があると、”別に私でなくても”とか”ここまでやってあげなくても”と思うことが正直ゼロではありません。でも、そもそも私が仕事を続けてこれたことも、自分が望む道を歩んでこれたのも、運よく誰かに救ってもらったからです。まだ私は、”おせっかい”ぐらいしかできないかもしれないけれど、それでもしないよりはいいよね、と思って過ごしています。