裏千家の先代お家元である、鵬雲斎大宗匠が他界されました。終戦記念日直前のことです。享年102歳とご長寿でしたが、まだまだお元気だと思っていたので、寂しい気持ちでいっぱいです。
ちょっと日本文化を知りたい、行儀作法の練習になれば、という軽い気持ちで初心者向けの茶道教室に通い始めた頃は、奥様向けの稽古事だと思っていて、正直結構苦手意識がありました。それは、過去に友人に連れられて通った稽古場で、あまり良い記憶が無かったことが影響しています。苦手だけど、接客業に関わる以上、ある程度は経験した方が良いだろうとの仕事意識で取り組み始めたのがきっかけでした。
稽古を始めて間もなく、2つの事を知ります。一つは、もともと茶道は男性のみのもので、女性に稽古が許されたのは明治維新になってからであること。新島八重さんが女子教育に携わるようになり、茶道を取り入れたいと要望されたのがきっかけだったそうです。その後、元士族の上流階級の子女が嗜むようになります。そして、戦後になり、戦争未亡人の生活の糧としての免状が普及していきます。そして、もう一つは、先代のお家元が特攻隊員だったという事です。やんごとなき雅なご一族だと思っていたので、その中から兵隊として訓練を受けた方がいたというのは驚きでした。でもこれも、実際はどうなのか?との疑念を持ちつつ、靖国神社で催された献茶式に臨みました。
献茶は、家元が神社仏閣にてお茶を献上する儀式で、大変厳かな雰囲気の中で行われます。その中でも、靖国の献茶は独特の雰囲気がありました。それはお家元の気迫が凄まじく、茶を献じる事の重みを肌で感じる瞬間でした。大勢が出席するので、隅の方からやっと様子を拝見出来るような場でしたが、献茶が終わると涙が止まりませんでした。
もっと詳しく知りたいと思って、本を探して読んでみました。
近年のお話としては、婦人画報デジタルで掲載されています。(8月31日まで無料です)
https://www.fujingaho.jp/culture/interviews/a35025144/interview-sengenshitu-urasenke-210101/
https://www.fujingaho.jp/culture/interviews/a65180419/sen-genshitsu-ono-masatsugu-250702/
こういった本や記事を読み、あの気迫に満ちた献茶の意味をようやく理解することが出来ました。”もし生きて帰ることができたら、お前の家で茶を飲みたい”という言葉を残した戦友のために、まさに全身全霊をささげてお茶を点てておられたのだと思います。他界される前年も、靖国では献茶をなさっていました。凄いことです。
一方で、普段は本当に温かく優しい方で、記事にもあるように、包み込む山のようなオーラを持つ方でした。国連関連のチャリティーパーティに出席した際、”いらっしゃい、いらっしゃい”と声をかけてくださり、一緒に写真を撮っていただいたことがあります。登場なさるだけで、場が華やかに温かい雰囲気になり、そのお人柄で多くの方を魅了なさっていました。
国に対して、思う事は多くおありだったと思いますが、オリンピック、万博など、国をプロモートする活動については全面的に協力なさっていましたし、最高齢で社外取締役を努められた京都ホテルの経営会議には必ず出席され、皆の心に響く多くのご発言があったと聞いています。
”一椀からピースフルネスを”とおっしゃり、世界中でお茶を点ててこられました。お酒で喧嘩をする人はいても、お茶で喧嘩をする人はいない。”どうぞ””お先に”の譲り合いの言葉が当たり前に出てくる作法を積み重ねていけば、世は必ず平和になる、との信念をお持ちでした。
茶椀の中には地球がある、とのお話もしてくださいました。丸い茶碗(地球)の中に、自然(茶)がある。地球の恵みをいただくとき、感謝の気持ちしか無い、というお話を聞いた時、スパに通ずるととても感動したのを覚えています。
“賓と主”も深いお話でした。亭主はお客様の事だけを考える。お茶は熱すぎないか、ぬるくないか、この空間は心地良いか、と隅々まで。そのことに対し、客は、自分のためにここまでやってくれる、と感じ入り、お互いの気持ちが通ずる、というものです。
茶道と通ずる要素の多いスパ。大宗匠のお言葉を振り返りながら、一人でも多くのゲストが平和な気持ちになれるよう、チームの皆と取り組んでいきたいという思いを新たにしました。
改めて、大宗匠に心からの感謝と哀悼と捧げます。