大坂新世界あたり、そして通天閣に行ってきました。
ここにジャズの澤野工房のお店があり、まだ寒い冬の日に初訪問。澤野さんいわく”この界隈らしくない人が来はった~”という感じだったそうなのですが(ホテルミーティングの後だったので)、今回はちゃんと街に溶け込むカジュアルで行きました。
前回、人もまばらだったこの界隈も、観光シーズンのこの季節、人であふれていました。通天閣も入場待ちの列、そして串揚げ屋さんも長蛇の列。暑くて人も並んで、という感じでしたが、せっかく来たので、全部並んでコミコミの串揚げ屋さん、たこ焼き屋さん、そしてビリケンさんのお参りとフルコース体験。
通天閣というと、”東京タワーに似たHITACHIのロゴがある塔”という印象しかなく、そもそもこれは何?この界隈はなぜできたの?という疑問をずっと持っていたのですが、ようやく今回謎が解けました。とっても由緒正しい観光地で、ことの起こりは明治36年!博覧会の会場跡地にパリのエッフェル塔と凱旋門を模した建物(このあたりが大阪チック)がルナパーク(遊園地)とともに建設されました。その当時東洋一だったそうです。(これは有名ですね)
その頃の模型が展示されていたのですが、これを見るとまさにパリ。今でも凱旋門のあたりにはレトロな公園があって、地元の家族連れがよく遊んでいます。(私にとっては右岸と左岸を行ったりきたりする際のアイスクリーム休憩場所です)ええっ、あの感じ?原型は・・。時代的にもアールデコ全盛期の建築なので、模型にはその雰囲気が出てます。なるほど・・かなりオシャレ・モダン系だったんですね・・。
そのオシャレ系がなぜこうなったかと言うと火災・戦争・再建・復活・使い込み・維持など大層ドラマチックな歴史を持っています。そして今のかなりベタな大坂の雰囲気の街になってます。
私が初めてこの街を歩いた日。自転車で通りかかったおじさんが”さっびしい街やろ~”と言いながら通り過ぎていきました。とってもビックリ(びくびく)したのですが、なんだかとっても切ない。きっとこのおじさんは、地元の人で、”いかにも他所から来ました”という雰囲気の私に、本当はもっと街をアピールしたかったのかも。
ベタはベタでかなり楽しめた新世界&通天閣。このゆる~い雰囲気が大阪のイメージなんだけどなあ、街の人はオープンで優しいし、伸ばす語尾もいい感じ。伊勢の”おかげ横丁”みたいな街の統一感があればもっと魅力的な街になると思うのですが、この統一感とか維持する、というあたりが大阪の感覚に合わないのか??