さて、今回の宮崎行き、主目的は祖母の25回忌に出席することでした。
お寺で供養していただき、その後出席者で会食(宴会)。それぞれに、祖母との思いで話を語りました。私の印象は、穏やかに生きて穏やかにこの世を去った優しい人、というものでしたが、それなりに苦労もあったようです。祖父母世代の方々は、戦時中を生きているので、それだけでも苦労と言えると思いますが、それに加えて祖母個人の事情がありました。古い家の継承、祖父が突然選挙に出てしまい国会議員になったこと、そして落選の結果、すべての資産を失ったこと、などです。
このことが、叔父の口から語られると、”ああ、そうだったんだ”と思うのですが、祖母から直接この話を聞いたことのない私にとって、いつも笑顔だった祖母と、苦労話がいまだにあまり結びつきません。
祖母は、いつも神棚の前に座り、お祈りをする人でした。神道だったのだと思いますが、ハイカラな面もあり、大学で学んだ英語は、いつまでも生きていました。私自身が、英文科に進み、ある小説の日本語訳(夏休みの宿題をズルしていました)を手にしていたら、祖母の本棚から、読み込んだ後のある英語版が出てきました。すらすらと読み上げ、”このフレーズが、この作家さんの特徴なのよね”とページをめくる姿に、心底感動したものです。
この年になって、祖母という人を考えてみると、つくづく”人の嫌がることを言わない”人だったな、と思います。祖母は外での仕事をしたことがなく、夫・息子家族とともに生きてきた人でした。今で言う”女性の活躍”とは遠い生き方だったのかもしれません。でも、孫たちは、様々な折に祖母に面倒を見てもらい、影響を受け、そして今も心に祖母の姿を残しています。
いつも着物を着て、にこやかにやってきて、穏やかにちょこんと座っていました。いつも身だしなみをきちんとした綺麗な人で、子供ごころに自慢の祖母でした。結婚しないと思われていた(?)私が、思いのほか早く結婚することになったとき、とても喜んでくれ、東京まで来てくれました。これが数少ないおばあちゃん孝行だったかなー、などと、色々思い返した宮崎への旅でした。