大磯にある、吉田茂邸に行ってきました。正確に言えば、旧吉田茂邸で、平成21年に火事が発生し、焼失した母屋を再建し、平成28年に現在の姿になったということでした。
消失しなかった門と庭から、施主のこだわりとセンスを感じます。
吉田茂の人生や、各居室の説明は、この冊子にまとめられています。
吉田茂と言えば、日本で最も有名な総理大臣ですが、平成のこの時代、改めて偉大さを感じたのは、この屋敷の再建についての話を聞いたときでした。
火災で母屋が消失した後、再建を目的とした基金が設立され、募金により大半の必要経費を賄ったとのことのです。再建とはいえ、それぞれの部屋のしつらえや素材は素晴らしく、相当の費用がかかったということはすぐに理解できます。
再建を目指した人たちの目標は、”資料館ではなく、吉田茂がどういう価値観を持った人物だったまで伝えられる場所にすること”だったと言います。その価値観は、例えばこんなところでも垣間見ることができます。
大食堂だったローズ・ルーム。若手の外務省職員を招いて、激励の食事会を開いていたそうです。その食事会で使われる食器には、大磯の風景が焼き付けられた特注の器が使われました。
そして、応接間の床には、楓が使用され、金の間と呼ばれる部屋には、床材に桜、壁と天井にはヒノキが使用されています。そして、ヒノキの板間には、本当の金箔があしらわれていました。
今回の再建には、その通りの部材が使用されています。ここまですることが、吉田茂と言う人物を伝えることだった、と説明のスタッフの方が熱く語ってくださいました。この金の間からは、片方の窓から富士山、そして片方の窓から大磯の海を眺められます。遠方には房総半島を見ることもできます。
政界引退後、地元との交流の場を積極的に持ち、地元の小中学校に額を寄贈したり、子供たちを招くことも多かったそうです。亡くなったときは、国葬となり、国道1号線沿いに、約5000人の人々が並んで、葬儀が行われた武道館に向けて見送った、と記されています。
本当に愛され、尊敬された人物像を感じることができる場所でした。