日本で精油が一般的になってきたのは、1990年代後半になってからのことです。最初は、海外でアロマテラピーの勉強をした人が持ち帰ったり、ご自身で使う分を入手するために個人輸入をし始めたり、といった程度で、ブランドの数も種類も限られていました。
私自身が、精油というものに接したのは、爽健美茶がヒットした後、ハーブ系の飲料を企画したいと思って、自由が丘のグリーンフラスコでハーブ講座を受けたことがきっかけでした。当時は、”ちょっとやる”系のお手軽な講座があまりなくて、受講したナチュロパシーの講座もフルに1年ありました。週に1~2回あったので、充実した内容だったと思います。ハーブティーだけで良かったのですが、ブレンドもチンキづくりも、湿布づくりもしました。マッサージの授業もかなり多くありました。湿布づくりにはヨモギも使いましたし、マッサージの時には、ホホバに数種類の精油をブレンドしてマッサージオイルを作っていました。精油を特別扱いするわけではなく、植物のエッセンスを取り出した一つの形、として学んだ記憶があります。かつ、ハーブというより、薬草として位置付けておられたので、あまり海外のもの・国産のもの、と区別する内容にはなっていなかったと思います。
その後、ウィンザーホテルの再建のため、北海道に行き、富田ファームでラヴェンダーの蒸留現場に出くわしました。今思えば、水蒸気蒸留器なのですが、芳香蒸留水をリネンウォーターとして販売したり分けてくださったりしていました。精油を採取するのは難しかったのかな、と思います。車で行くと、”たくさん採れるから”とポリタンクでお土産に持たせてくださいました。この時点では、小さな瓶に入っている海外からやってきたというラヴェンダーの精油と、重い~重い~と運んでいたポリタンクの中身の元が同じだとは考えもしませんでした。
その後、いろんなアロマブランドの方とお仕事(商品を仕入れる)をしたり、そのブランドが依頼しているアロマセラピストの人にトレーニングやセミナーを依頼したり、一緒に商品を作ったり、と徐々に接点が増えていきました。
それぞれの方が強い信念を持っておられ、熱く語られるので、都度私の軸もグラグラ動きました(単純です)。ほぼ全員の方が、日本には精油は無い、あってもレベルが低い、とおっしゃいました。やっぱりイギリスのものが最高、いや、フランスだ、オーストラリアのものもいい、と、都度ご指導があり、私もそのままスタッフに伝えました。
そのうち、本国から創設者の方が来日されるようになり、直接お話を聞く機会に恵まれるようになりました。そこで出てきた話が、”日本の精油は手に入らないのか?”という質問でした。日本の精油はレベルが低いから使う意味はないと聞きましたが?と逆質問すると、大笑いされて、世界中に素晴らしい植物が存在している、それぞれに良さがある、これだけ自然豊かな場所であれば、必ず良いものがあるはず、と話してくださいました。私が次に来日するときには、何かプレゼントしてね~と言って、本国に戻られ、その後も折にふれ、”何かあった?”と尋ねられることが続きました。
私が日本の精油を調べてみようと思い立ったのは、こういった経緯があってのことです。あの北海道の大地で見た巨大な機会を”水蒸気蒸留器”と呼ぶのだと知ったのは、それからかなり経ってのことでした。