お伊勢さんに行って参りました。
友人が主宰している会で、伊勢神宮に和歌を奉納することになり、その集いに出席するためです。日本文化を学び実践しているこの会は、25年続いており、これまでにも、明治神宮や二条城での開催を実現させてきました。とはいえ、伊勢神宮での開催は別格の難しさらしく、数年がかりの準備だったようです。
いつも大変素晴らしい内容なのですが、大抵の場合、フル参加は難しく、作品も書かないし、幹事役も出来ず、ただ当日行くだけ、という”おまけ”会員で食事会参加、というのが私のパターンでした。彼女の情熱は理解しつつも、今回もそんな感じかなあ、と思っておりました。
が、年が明けて、どうも実現できる!との情報が入り、喜んでいたところ(陰ながら)、友人から”伊勢神宮にご挨拶に行くので一緒に行ってほしい”とのメールが入りました。3月のことです。こういうご挨拶は、重鎮の方々がいらっしゃるのが常ですが、コロナの影響があり、さすがにご高齢の方にご同行いただくのは難しい、という話になったようです。いつも大してお手伝いできていないので、たまには貢献しようと思って、”行くよ~”と軽く返事をしました。出発前日、一応服装を確認しておこうと思って、”膝が隠れるワンピースでいい?”とメールしたところ、”貴子さん、訪問着必須!”との返事。え~! え~!私付き添いなんだけど!と思いつつ、バタバタとお仕度。かくして、日帰りお伊勢参り・訪問着の旅が始まりました。
いざ現地に行ってみて、この会を実現することのハードルの高さ、”ご挨拶”の難しさを実感しました。やっぱり訪問着必須は正しかった!大切な施設を使わせていただくうえで、参加者が和の空間を使うことに常識があるか、“格”を理解しているか、本気度を示す上で、服装は重要な要素だったと思います。日常生活で、こういった”格”を意識する機会は失われつつありますが、伊勢志摩の奥の奥に入らせていただき、張り詰めた空気の中で、あ~訪問着で来て良かった~と感じておりました。帯はつつながく有職文様にしました。
で、このご挨拶&視察の旅の後、コロナは一層拡大し、開催出来るかどうか不透明な状態になりましたが、こんな時期だからこそ、安寧平安を祈る和歌を奉納しよう、という展開になりました。いつもなら、”書かない”で終わってしまう私ですが、伊勢神宮にも行ったことだし、今年はやる気あります。”書きたい”と返事したところ、”じゃあ和歌を作りましょう”との返事。和歌を・・作る・・。どうやって???正直、どなたか名手の和歌を書いて奉納しようと思っていたので、またまた大困惑。どうも先生をお招きし勉強会をやってもらえるようなので、それに参加することに。で、何とか作って書いたものがコレ。
あかねさす ひかりさしこむ いせのもり とりのこえにも こころあらはる
と詠みました。伊勢神宮の森は本当に深くて、ここを歩くだけでスッキリした気持ちになります。鳥の羽ばたく音や声を聴くと、一層心が洗われる気持ちになる、という意味です。メンタルデトックスですね。コロナの影響で、何かとザワザワしてしまう日々ですが、揺らぐことなく、清らかな気持ちでありたい、との願いを込めました。この和紙は、特注のすごい紙らしく、これに書くだけで何やら立派な感じになります。
100名ほどの方々が、同じように和歌を和紙にしたためました。それを繋げて巻物を作り、またまたそれを桐の箱に入れて奉納します。ちなみに、別の友人は“お焚き上げ”だと思い込んでいたようですが、焚かれるのではなく、そのまま奉納です。
その有難い箱がコレ
準備が進むうちに、伊勢志摩に行ける状況になってきて、この奉納の前に、和歌を披講していただけることになりました。これがメインイベント。披講というのは、宮中の歌会はじめで行われている詠みあげのことだそうです。場所は、参集殿の能舞台。披講してくださるのは、代々宮中で和歌を詠んでおられる近衛家など由緒ただしい方々。正装での披講。
私の”なんちゃって和歌”が、自作ということで詠み上げていただけることになり、朗々たるお声を聴き、とっても感動しました!こんな素晴らしい体験、一生に一度だろうなあ。
この日の伊勢、朝は大雨。三部に分かれていた行事のスタートは、やや苦労しました。あ、そこからみるみる空が明るくなり、披講の時間には、風もそよそよ、本当にいい感じ。そして、すべての催しが終わり、空を見上げたら、光の道が出来ていました。
やっぱり神様っているんじゃないかなあ、と思わず手を合わせてしまったこの瞬間。困ったときだけ神頼みの私ですが、日本の神々が、私たちを守ってくださいますように、と心からの祈りを捧げた一日でした。