新年明けましておめでとうございます。本日の新聞に掲載された宝島の意見広告。今年にテーマは「怒り」だそうです。
心静かに暮らしたいと思いますし、暴力絶対反対です。が、今の日本は思考能力を欠き、異常だと感じます。今回の非常事態宣言を受け入れる気持ちになっている方たちは、”医療崩壊を防ぐために協力しなければ”と考えていると思います。
日本には、160万床の病床がありますが、コロナ対応しているのは、3万床に過ぎません。わずか1.8%。しかも、昨年春より、昨年夏より対応病床数は減っています。ほんのわずかな病床に負担をかけ、そこに勤務する人たちに負荷をかけ、それをメディアが報道し、多くの制限をかけています。
民間病院には受け入れるスキルや設備が無い、との指摘もありますが、費用をかけきちんとドクターや看護婦に人件費を支払えば対応できるようです。でも、またワイドショーで”ヘルプドクターに200万円!”とか報道しちゃうでしょうから、先に進まないんでしょうね。都内でも、ほとんどの病院は年末年始休診で、都内ホテルでは、骨休めに滞在なさる医療関係者をお見かけします。
飲み屋でコロナを広げてしまう人も、海外と勝手に往来してウィルスを持ってくる人も、もちろん悪い。風俗の存続にも問題はある。でも、それは、法治国家として認められている権利でもあります。医療崩壊を理由に、特措法に踏み切ろうとする今の状態には、きな臭い政治的意図を感じてしまいます。本当に出来なかったのか、実はある意図でやる気がないのか。
政治家たちは、宴会をガマンする気もなく、ひたすら若者たちに負担を求めます。今年はオリンピックイヤーになるはずで、それを見込んでここ数年で開業した素敵なレストランやカフェがたくさんあります。センスあり、やる気のある若者たちが、可能性にかけて事業を始めました。それが続々と閉店に追い込まれ、借金を背負う人も多くいます。老舗の料理屋さんも閉店が続き、町にはあちこち空き店舗が出てきました。
今のコロナの状況、高齢者や基礎疾患を持つ人が亡くなっていると報じられますが、大きな損害を受けているのは、もっと若い層です。進学や就職を控えている方や、そのご家族が気の毒に感じられ、胸が締め付けられるような気持ちになります。そして、この先、非効率に大盤振る舞いしてしまった経費は、いつか先の世代が負担することになります。でも、不思議と、それに対する怒りの声は上がりません。
リーマンショック後に、ある霞が関のお役人から聞いた話です。この時期、若年層の失業者が多く出て、非正規労働について社会問題になっていました。
「日本では、社会問題があってもデモも暗殺も無い。困難な状況にある人達が静かに自殺してくれるので、政治家や役人にとってはやりたい放題なんだよね。貧困を救え!とか言って活動している奴も、NPO法人の代表にして数千万払えってやればばそれで静かになる。うるさいマスコミも、数年後に国会議員にしてやればこっち側に来る。」
「だいたいみんな考えないからさ、女性活躍とか少子化問題とか言っても、イベントをやったり、ちょこっとベビーシッターあたりの補助金を出せば収まるんだよね。1年で熱が冷めるから、大してお金かかんないんだけど。日本では、事実現実より”空気”なんだよ。」
この話を聞き、かなり不愉快に思いましたし、日本そんなに変じゃないよ!と思ったのですが、10年以上たった今、その通りになっている事に本当に驚きます。
怒ることもせず、考えることもせず、ワイドショーが作り出す”空気”に動かされる日本。そしてワイドショーが作り出す”世論”に押され、議論が起こらない国。どんな未来がやってくるのでしょう。