自民党所属の国会議員が、銀座で深夜までクラブ活動していた、としてようやく離党しました。辞職させた公明党と違って、またもやグズグズした対応をした自民党、次の衆院選では、益々厳しい状況になりそうです。
ここで登場する”銀座のクラブ”、日本で最も高級な”接待を伴なう店”で、財界や政治家の人の密談場所で、「黒革の手帖」に出てくるような超美人ホステスが居る場所、だというイメージがあると思います。そしてその様子を小説にするべく、文豪の先生がいる、みたいな。
が、それは昭和中期の話。今はかなり状況が異なります。テレビを見ていたら、”銀座は日本の文化だから、こういうクラブも守っていきたいですよね”と語るおじさんがいたので、ちょっと感じたところを書いてみます。
水商売に、レベルの高い女性が集まった時代は確かにありました。そもそも女性が働く場が無く、一族の跡継ぎである兄や弟を大学に行かせるために、水商売しかなかった時代です。今であれば、起業したり、会社の組織の中で活躍できるような才覚がある方たちでも、選択肢は極めて限られていました。そしてそういう女性たちがいる場所が社交場になりました。銀座・中州・新地とかつては”名物ママ”がいて、貫禄もすごかったし、知性も素晴らしい方々でした。作家たちの支援者であった方もいますし、ママが出す会報誌の内容は、文芸誌より充実してました。
社会人になり、コンサルティング会社に勤務しましたが、この時代、幹部のほとんどは商社出身で、銀座が大好きな方たちでした。接待でも自腹でも、とにかくよく銀座に行く。で、連れていかれる・・(何故?)でも行ってみるとだいたいママが相手をしてくれて、悩み相談&転職相談。帰り際には、上司に”この子の面倒ちゃんと見なさいよ!いらないんだったらウチでもらうからね!”との”ご指導”もありました。店を出るときには、お寿司やチョコレートを袋いっぱい(多分お客さんのお土産)持たせてくれて、”危ないから”と車も呼んでありました。バブル華やかなりし頃で、お店はキラキラしていて、とっても活気がありました。この時期、昭和の終わりごろでしたが、商社、銀行、不動産関係のビジネスマンが、実際に商談する場として機能していたと思います。
という良き記憶があった私は、会社の事務所とサロンを青山から銀座に移したことがありました。引っ越した後、内装工事に瑕疵があり、かつ地震への不安もあったため、早々にまた移転することになるのですが、数年間は、銀座のクラブ街にほど近い、銀座7丁目に”出勤”していました。ホステスさんへの営業活動もしたいと思って、知り合いに頼んでまたクラブ巡り。が、どうも前とは様子が違います。ママの代替わりももちろんあるのですが、銀座でトップクラスのお店に行っても、活気が無い。それに内装もくたびれていて、ホステスさんたちは、帰りにマイクロバスに乗っていきます。かつては見たことのない風景でした。で、そこで聞いた話は、”IT小僧たちは、遊び方を知らない、キャバクラと同じように思ってる。口のきき方を知らない”など、経営者への愚痴ばかり。それをそばで聞いているお客さんは、何となくくたびれたおじさんばかり。そして、何より驚いたのは、10年以上前のこの時期ですら、浮浪者が多く、治安の悪化がひどくなっていたことです。
もう、かつての銀座じゃないんだな、と思いました。インバウンド重視が銀座を変えた、という見方もありますが、もうその前から銀座は崩壊していたのです。バブル崩壊とIT関連の隆盛によって、顧客獲得の営業ルートが途絶えてしまい、安定収益が得られないオワコンになっていました。企業のコンプライアンスも厳しくなる中、接待費を持っている大企業の幹部も、銀座を使おうとはしません。そして、IT小僧たちは、キャバクラが大好き。かつ、モデルや芸能人との合コンで、銀座に行かずとも十分楽しい。そうやって、銀座を支える顧客は、もう長い事存在しない状況になっています。という訳で、銀座のクラブのビジネスモデルは完全に崩壊しており、”銀座のホステス””という肩書は、今やそれ以外の収入を得るためのお飾りでしかありません。それ以外の収入の道は、かなりの濃厚接触なので、コロナにとっては、まさにここは爆弾なんです。
さて、そんな銀座の数少ない優良顧客は、政治家です。地方から出てきて”東京デビュー”しちゃった地方出身の国会議員にとっては、古臭い銀座のホステスでも、まだキラキラした存在に見えます。地元にバレなければ、羽を伸ばすこともできます。銀座6丁目から7丁目あたりの、レストラン、すし屋、割烹、バーあたりでは、夕方ぐらいから同伴のカップルが増えます。3つ星フレンチも、席の半分ぐらいは、そういうカップルで埋まるのが普通です。自分でも払うし、企業におねだりもします。後で、補助金でお返しするので、こちらも原資は税金です。そして、国会議員が乗る黒塗りの車で、銀座の夜は埋め尽くされます。大昔、雅子さまがロオジェに真夜中まで長居して(これはこれで問題だけど)、銀座一帯が深夜まで通行止めになった騒ぎがありました。議員たちの黒塗り車も遠くに駐車せざるを得ず、おじさんたちは大行列をなして、車まで歩いたそうです。”あのバカ女!”とセンセイ方が大層お怒りであった、とのうわさ話が、しばらくの間挨拶がわりでした。経営者の人は、”仕方ないなあ”だったけど、センセイ方は本当に大変だった・・との話を聞き、いかに政治家が夜な夜な銀座に来ているか、改めて知りました。
今回、”コロナ禍なのに”とビックリなさった方も多いと思いますが、実はこれが国会議員の”当たり前”です。当たり前すぎて、コロナ禍であっても、ライフスタイルを変える事に気づかなかったのだと思います。”センセイが来てくれないとうちの店は潰れちゃう~”とのお願いに、”よしよし、何とかしてやるからな。”と本気で答えたでしょうし、それが自分の正義であり、男としてカッコいいことだと思ったことでしょう。”陳情を聞いていた”というフザけた言い訳も、それでまかり通ると、本気で思っているんです。こういうタイプの人は。今回の件が露呈して、またおかしな補助金制度が出来なかった分、良かったと思うべきか。(情けないけど)真面目な国会議員ももちろんいます。でも、自浄作用が無い時点で同罪です。企業がそうであるように、議員にもコンプライアンスの意識が必要で、そうでなければ国は潰れます。
そもそも、この”接待を伴う店”海外ではすこぶる評判の悪い業態です。日本の男女差別、女性蔑視、人身売買の証拠のような業態ですから。オリンピック前に無くなるとの噂もあったのですが、まだ元気に営業し、”補助金が足りないの~”とテレビにママが登場する様子を見ると、自民党議員が”陳情”を聞きいれたのでしょう。小池さんは、”接待を伴う店”嫌いで有名ですが、それは、国会議員時代の体験と無縁ではないように思います。
すでに完全オワコンで、実質的には税金で支えられている銀座の”接待を伴う”店。税金搾取の国会議員とともに、きれいさっぱり潰れて消えて欲しい、と切に願います。すでに、銀座のクラブに文化などありません。