昨日8月15日、終戦記念日でした。
東京オリンピックが終わり、久々に大河ドラマを見て、その後はNHKスペシャルで日中戦争から第二次世界大戦にいたる番組を見ました。主に蒋介石の書簡の話。
毀誉褒貶の人として知られている蒋介石、実は日本に留学経験もあり、日本で匿われていた時期もあります。守護したのは犬養毅。戦後日本の恩人として語る政治家もいますが、実際には、日米開戦を画策していた人。日本から学び、日本を尊敬し、その一方で、日本の軍部を憎悪し、そして戦った人。
今、台湾と日本の関係は良好で、テレビを見ていると、”日本好きの台湾人!”といった感じで取り上げる番組なんかもあり、見ている側はかなり複雑。一方的に好き!とかずっと好き!とかそんな単純なことはあり得ない。テレビ番組のプロデューサーはそう考えるかもしれないけど。
大河の主役でもある、渋沢栄一もまた、ある意味毀誉褒貶の人としての評価もあります。そういう意味で、変わる人が何をきっかけに変わるのか、何を守りたいと思ったのかを知ることはとても興味深い。
日ごろ暮らしていると、国がずっとあると思い、日常は当たり前のように続くと思いがちですけど、昨日のような番組を見ると、国の存続なんて、実は危ういことの連続なんだな、と実感します。
日本は、江戸時代末期に植民地になってもおかしくなかったし、明治になってもそれは続き、そして戦後は分割されてもおかしくなかった。知れば知るほど、今の日本はずっと危ういバランスの上に成り立っているんだな、と実感します。忘れかけていることを、8月は思い出す月。
裏千家の鵬雲斎大宗匠は、特攻隊の生き残りの方で、戦後戻ってこられてから、ずっと世界平和を訴えておられる方です。実は私、”世界平和を訴える”類の人が苦手なんです。どこか宗教じみていて、どこか嘘っぽい。が、靖国神社での献茶式を見て、考えが一変しました。その気迫たるやすさまじく、遠くから見ているだけで涙が出てきて、自分でもビックリしました。散っていった特攻隊の仲間たちに茶を飲ませたかった、との想いで臨んでおられるそうです。日本人なんだから、日本文化を知りたい、と思って始めた茶道のお稽古でしたけど、初めて参加した献茶式はちょっとショックでした。
”1杯の茶から平和が始まる”とのお考えで、世界各国で茶の湯を伝える活動をなさっています。いつまでも笑顔でしゃきっとなさっている大宗匠ですが、人生に目的を持つ人の温かさと強さを感じさせてくださいます。講演会があれば、出来るだけ参加してお話を伺うようにしています。”心を込めて作りだした何かは、必ず人に伝わる。自分の場合は、それが1杯の茶。人によっては料理であったり、花であったり、床であったり、それは何でも良いのです。あなたのために、という想いを伝えることが、もてなしです。”この言葉は、スパやホテルを仕事の場に選んだ私にとって、指針のようなものです。
オリンピックを見ていて、そしてその後の色んな報道を見ていて感じることは、難しい状況だからこそ、”会って理解する”ことがとても大切なんだな、ということです。助け助けられることで、人は理解し合うし、敬意も生まれます。相手を異質なものだと思った瞬間、人間は残酷になってしまう。結局、争いの源は、”理解しない、したくない”が始まりなんでしょう。今も昔も。
蒋介石の日記に、”英米は、結局黄色人種に殺し合いをさせたいだけなのだ”との記述がありました。日本に2つの原子爆弾が落とされたことも、米国にとって日本人が人間として見なされてなかったからだ、という説もあります。この爆弾を、欧州に落とすことは出来なかったから、日本で”実験した”という説です。
遠い島国である日本にとって、もっとも重要な外交は、”諦めずに交流し続けること”なんじゃないか、と改めて感じた夜。理解し合えない憎むべき相手ではなく、笑顔で親しく会いたい相手であり続けることが、国を守る一番の力です。地理的に遠い分、何倍もの努力をし続けなければなりません。
そういう意味では、今回のオリンピックは、成功だったのだと思います。もちろん、多額の経費がかかったことや、日本の悪い面が出てしまったことなど、反省点や改善点は山のようにありますけど。ボランティアや現場スタッフを賞賛する声が世界中から上がっています。コロナ禍の中だからこそ、苦しい中、心を込めて迎えてくれた人たちの努力は、何より尊いものだと思います。
難しい国際情勢の中だからこそ、観光はとても大切。”どうだ!?”というひけらかしの観光ではなく、多くの日本人が穏やかに暮らしていることや、自然の恵みを分け合う風習があること、神社仏閣で祈ることが習慣であること、海外から取り入れた文化を取り入れていることなど、当たり前の暮らしを知ってもらうだけでも、大きな意味があると思います。目を向けてもらえる事が無かった時代に比べれば、今は本当に恵まれています。これを当たり前のことと思わずに、より磨きをかけていきたいものです。
蒋介石の書簡に戻ると、彼が戦後日本を擁護する演説において、”日本には多くの優れた点と愛すべきものがある。ただし、一部の指導的立場のものたちは別に扱う必要がある”といった趣旨のことを述べています。
あまりにも深い言葉です。