私の週末のお楽しみ「青天を衝く」は、渋沢栄一が主人公ではあるのですが、最大の主役は何と言っても明治維新。日本が長い時間をかけて培ってきた文化やしきたりが、短期間の間に西洋化されていくバタバタぶりがリアルに表現されています。明治政府の拠点と化した江戸城には、畳の上に絨毯が敷かれ、その上に椅子とテーブルというミックスインテリア。行きかう人々は、ちょんまげ+着物、ざんばら頭に洋装、それに宮中の装束に烏帽子の人が混在してました。
ここまで短期間に、様式を変えてしまった国も例が無いのではないでしょうか。それに加えて昭和の敗戦があり、一気に米国化が進んでしまいました。
昭和の時代は、日本について考えるというより、次々に登場する家電や、輸入製品に目をみはる事の連続で、そして平成になると、海外旅行がより身近になったこともあり、”日本文化”は取り残されてしまったのだと思います。
私が日本のコンテンツについて、考えるようになったのは、東日本大震災と、その後に続く急激なインバウンド観光の出現がきっかけでした。
日本各地の精油を取り入れると決めて、各地の生産者さんを訪ねてみると、積み重ねた風土の歴史が本当に面白い。
それに加えて、茶道を始めたことで、日々多くの発見や学びがあります。知らなかったことばかり。あまりに広くて深くて、底なし沼みたいな感じなのですが、長い時間をかけて少しずつ学び・楽しんでいければと思っています。
陰陽五行、木火土金水、という言葉は、セラピーの世界でも良く耳にしますが、この考え方が日本に定着したのは、茶道の発展が大きく影響しています。風炉から炉に切り替わるこの時期、茶事の趣向として、案内を受けます。風炉は陽・炉は陰ですが、もともと風炉しか無かった茶道に、炉の考えを導入したのが、あの利休さんです。彼の頭の中には宇宙があったのでしょうか。この秋、数回陰陽五行をテーマにしたお席に伺うので、ご亭主のお話が楽しみです。
もともと中国から入ってきた考えを発展させ、体系だった考えにまとめるのは、日本が伝統的に行ってきたことで、これもまた一つの文化で固有のコンテンツなのだと思います。
着物の世界も同様です。着物には多くの文様がありますが、大陸から渡ってきたものを基にした正倉院文様、それが貴族社会で発展した有職文様、武家社会で発展したものに、町人社会で発展したものなどなど。モチーフ一つ一つに理由と格があり、文様ひとつで伝えるものがある、というのが、この文化の凄いところです。
この頃では、海外から来られた方でも、日本文化に造詣の深い方がおられ、その知識の深さには驚かされます。この間も、ある茶会で私が来ていた着物について、”解説”がありました。着ている当人が知らずに恥ずかしい限りなのですが、次は私が語ります(笑)。
茶室や茶会がそうであるように、スパでも、全てのものにストーリーがあり、豊かな背景を伝えられるものでありたい、と日々感じます。やっぱりこの国は素晴らしい。