子供の頃、多くの人が口ずさんであったであろう”手のひらを太陽に” ぼくらはみんな生きている 生きているから歌うんだ・・で始まるこの歌は、やなせたかしさんの作詞です。(アンパンマンの作者)
大人になって、この歌詞を読むと”生”に対する温かさが感じらえて、本当に深い歌詞だな、と思います。
大人になって知ること、気づくこと、それぞれにあると思いますが、私自身は、植物や生物についての学びから得ていることがとても多いと思います。どんな生き物も、生きていくことと種の保存のために一生を終えます。
例えば、植物の場合、アミノ酸など存続のための一次代謝物があり、種の保存に繋がる二次代謝物があります。トリートメントなどで使用する精油は、この二次代謝物にあたります。動くことのできない植物は、自分を攻撃するものを遠ざけ、有益なものを近づけます。そのための花粉や香りです。それを横取りしちゃう行為に心苦しさも感じますが、それだけ生命力が凝縮されているものだとも言えます。
動物も同じで、「ダーウィンが来た」などの動物番組を見ていると、それぞれの種にルールがありますが、そのどれもが、種の保存のために形成されていることを知ると、本能の偉大さに都度感動します。
以前、和牛の種についての講義を受けたとき、先生から、”良き種は、優秀なオスから採取され、その採取を助けるのは、健康な若いメスであり、一種の一夫多妻である。一定の年齢をこえたメスには、存在価値が無い。生物学的に言えば、この原理は人間も同様である。”とのお話がありました。勇気をもって発言すれば、との前置きのあと、”高齢の不妊治療には反対で、学生結婚に補助金出す方がよほど有益だ”とおっしゃっていました。
現代社会では、人権問題だのLGBTだのと大問題になってしまうような発言ですが、動物の一種としては、これが真理です。
世の中はどんどん複雑になり、金融あたりからリアリティが無くなってきましたが、その後ネット社会になり、暗号資産だのAIだのになってくると、SF小説を読んでいるような気分になります。が、まだ私たちはアンドロイドにはなっていなくて、今のところ細胞体で形成されるヒトという生物です。
であれば、優先されるは、種の保存ではないかと思うのです。
出産しなかった私が言うのもどうかと思うのですが、子供受難の時代を見ていて、心底そう思います。
ちなみに、個人的なことを言えば、私が出産適齢期を迎えていたころ、仕事の環境も、家庭環境も、出産を考えられるような状態ではありませんでした。その意味では、今、多くの点で整備されてきているとは思いますが、それを上回るマイナス要素があるということなのでしょう。
様々な制度や補助金が組まれていますが、そう複雑に考えず、若い世代が情熱に任せて出産できるだけの金銭的環境を与えるだけで良いような気がするのです。人間社会の倫理は色々ありますけど、牛の話を聞くと、もちょっと動物的でも良いのではないか、と考えてしまいました。
かつ、様々な制度がありますけど、制度によっては、申請すること自体が憂鬱になるようなものもあります。申請とか許可といったものではなく、権利として普通に受け取れるものにしないと機能しないと思います。複雑になる制度や、書類の山を役所で見るたび、生命体から遠ざかっているような気がするのです。