このところ、茶事や茶会が復活し、充実した週末を送っています。(幸せ・・)
順番を覚えられずに、緊張しっぱなしだった茶事も、回数を重ねてくると徐々に楽しめるようになってきました。大人数が参加する茶会と違い、茶事は、こじんまりした空間に、4~5名がお呼ばれして、半日ぐらいをゆったりと過ごすものです。そういった場なので、最初にまずはご挨拶があります。亭主が、お客一人一人に声をかけ、来てくれたことへのお礼と、近況などを訪ねます。お茶事の参加者は、亭主のことは知っていても、客同士は初めて、ということもあるのですが、亭主と他の客の会話を聞きながら、相手のことを徐々に知り、茶事が終わるころには、”また次回も一緒に参加したい”と思うようになるのです。
昨日の茶事は、まさにそういった場でした。クリスマスをテーマに準備された設えや道具、心づくしの料理、菓子、お茶、本当に至福のひとときです。会話も弾みます。人が集まる場では、亭主(ホスト側)が、どれだけ細やかに気を遣えるかが重要になりますが、その中で、”名前を呼ぶこと”が本当に大切だな、と気づきました。
というのは、その茶事の前日に、残念ながらほぼ真逆の体験をしたからです。
ここ2年ほど、ご縁があり、志野流の香道を学ぶ会に参加していました。精油を通して香りを知る中で、オマーンで乳香を知り、東洋の香りである香木についても、知りたいと思ったのがきっかけでした。幸運なことに、志野流の若宗匠から直接ご指導いただける機会があると知り、早速申し込みました。
志野流は、応仁の乱からの歴史があり、一子相伝で継承されています。今年参加した増上寺での会では、あの蘭奢待が登場しました。お持ちくださる香木はいつも素晴らしいですし、得難い機会であることは確かです。会の主催者には、本当に感謝しています。
1年目が終わり、2年目に入ったとき、参加者は随分入れ替わりました。その中で、私は数少ない継続者でした。お祝いの会にも参加しました。が、ある違和感が・・。そう、実はこの間、一度も名前で呼ばれたことが無かったのです。最初は、雑談をしない方なのか、そういう会なのか、と思っていたのですが、そうでもありません。春の会、夏の会、秋の会、と続き、いよいよ冬の会で今期最後になりました。が、やはり名前を呼ばれることはありませんでした。
大人数の会ではありません。参加者は毎回4名です。
ああ、きっとこの人には、私が見えていないんだろうなあ、と思いつつ、香木を選び、香りを聞きました。その瞬間、驚く事が起きました。香りを感じなくなったのです!何か話しかけられた記憶はあるのですが、話の中身が記憶にありません。もうビックリ!なぜ、自分がそんな状態になったのか、この日の違和感は何だったのか、モヤモヤしていたのですが、その翌日の茶事での体験で、理由がハッキリわかりました。
医療関係者の知人の話によると、彼女が勤務する病院では、問診の際に、患者さんの名前を最低でも3回は呼ぶように指導されるそうです。確かに、骨折で入院していた時、何度も名前を呼ばれていましたが、安心したり、元気になったり、自分自身が弱っているときほど、その効果は大きかったように思います。
相手の名前を呼ぶことは、相手を認識し、リスペクトしている事を示す第一歩。お名前を呼び、一緒に過ごせる時間に感謝すること、それが心を満たすことなんだと思います。
スパについて社員にもよく話すことなのですが、米国でスパに行く理由を調査したレポートで、”大切にされていると感じるから”がトップだったそうです。痩せる、綺麗になる、といった機能面をはるかに上回るスコア。人は誰だって大切にされたい、尊重されたい、そして、名前で呼ばれることは、その第一歩なのだと思います。