暁の茶事
茶道は日本のもてなしの最高峰と言われますが、隅々まで、お遊びが詰まっていて、茶人は人生を楽しむ天才なんだと思います。
先日、”暁の茶事”というお茶事に参加しました。要は、夜遊びをした後の一服、という趣向のものです。今風に言えば、夜通しキャンプして語り合った後(夜咄の茶事というのもセットで存在する)、朝が近づいてきたので、どこかで水を汲んできて、焚火を直して、朝日を見ながら絶品コーヒー一杯、という感じでしょうか。
これに似た体験を、オマーンのフランキンセンス採取の旅の時に体験したことがあります。ベドウィン族に連れていってもらった場所は荒涼とした場所でしたが、白々と明けていく空は本当に美しかった。そして、コーヒーの美味しさは忘れらません。
通常のお茶事は正午の茶事といって、11時頃に始まり、お昼を食べて、そこから濃茶・薄茶と続きます。でも、実は一日の始まりと終わりが風情があってとっても楽しい、でも出来ない、料理と宿が難しいから。そして、使用人を抱えない昨今では、この種の茶事を個人が行うことが難しくなってきて、楽しさを体験できる機会も無くなってきています。
茶室付きの料理屋さんの近くのホテルは、これだけで上顧客を獲得できるのになあ、と思ってしまいます。日中の茶事は日帰りできちゃうけど、早朝・深夜はお宿必須だし。茶道が窮屈な稽古事として認識されるようになり、もともとあった遊び心や、自然そのものを楽しむもであったことを知られていないのは、とても残念なことです。
かくいう私もその一人。
最初は窮屈なものだと思っていましたし、大寄せの茶会は行きたくないと思っていました。茶事の機会を得て、ようやく少しずつ理解できるようになってきました。
暁の茶事(稽古)開始はすでに日の出の後。お部屋暗くしてやってみたものの、外に出ると真昼。いつかちゃんと夜明けを見たい。
夜明けも楽しい、夜更けも楽しい
極寒も楽しい、暑くても楽しい
ボロボロの道具でも楽しい
茶人はどんなものでも、価値を付ける天才です
逆転の発想というより、そういう習性?
そもそも、輸入品至上主義だった世の中を
国産至上主義に変えて産業を作った利休は本当に凄い
どんなマーケティングの授業より勉強になります
そして、スパのプログラムやホテルコンテンツを考える上でも、多くの気づきがあります。
これは、日本文化云々を超えている気がします。