桜が美しいこの時期ですが、交通事故の後の桜のシーズンは、かなりきついリハビリの真っさい中でした。車椅子と松葉づえを併用していたころで、当然人の多い花見にも行けません。幸い近所にいくつかの桜の名所があるので、朝早くの人の少ない時間帯に、車でゆっくり回ってもらって花見をしました。
こんな話をするのは、今後リハビリをする方のお話が耳に入ってきたからです。私の骨折よりもうんと重傷です。
怪我をして、リハビリをしている最中は、不自由と傷みの連続で、それが気分を落ち込ませますが、同時に健常だったころの体の有難みを実感します。時間がたち、ある程度日常生活を送れるようになると、そんな有難さを忘れてしまいます。自戒を込めて、リハビリについて振り返ってみたいと思います。
担当医は、”骨がつけばOK"というタイプの方で、QOLについてはあまり関心が無いように見えました。それでも、一応担当医としては、リハビリの資料作成のために、目標設定をします。それを理学療法士に伝えて、リハビリプログラムが始まります。私の場合は、”お茶席に戻れること”でした。どの程度できるかはわからないものの、杖無しで(畳の上なので)お茶のお稽古や茶会に参加できるようになりたい、正座が出来るようになりたい、と話しました。その途端、担当医の顔は厳しいものになり、”無理”だとはっきり言われました。そもそも整形外科医としては、正座を推奨していない、足首だけでなく、膝・腰とすべての機能において正座は悪影響を及ぼす、との説明があり、別の目標にするように言われました。次の目標はトレッキングでした。これは趣味でもありますが、素材を探しに行く際、結構山奥に入ることがあります。自分の足で行かないとたどり着けない場所があるので、長距離歩けるようになりたい、と告げました。これもまた厳しい顔をされます。いや、あなたの足、靱帯ほとんど残ってないので、相当足首不安定なんですよ。その状態で長距離歩くと周辺に負荷がかかるので、山の中で動けなくなりますよ、とこれも却下。結局、”日常生活を支援なしで送れる”が目標になりました。もう気持ちダダ下がりです。
こんな状態でリハビリがスタートしたのですが、あまり気持ちが乗りません。そんなある日、リハビリチームで温浴を担当してくださっている方が、”元気ないね~”と声をかけてくださいました。事情をお話すると、”うん、正座、できるよ”と明るく言ってくれました。ドクターはそう言うかもしれないけど、やりたい目標がないとリハビリできないからね、このままだと、ずっと足を引きずって歩くようになっちゃうよ、それを心配しているんだよね、とのお話でした。いいじゃない、お茶、それを目標にしようよ、とリハビリチームとは、より高い目標設定を掲げてプログラムをスタートさせることになりました。
当然それには、こちらも努力しないといけません。家で行うリハビリの紙を渡されるのですが、毎日真面目にプログラムをこなし、リハビリにも決められた以上の回数通いました。治療としてのリハビリは、半年程度で終了するのですが、渡された紙を使って、外部のトレーナーに頼み、その後もリハビリはずっと継続していきました。相当真面目な患者だったと思います。
丁度そのころ、義母が大腿部骨折で手術・入院・リハビリの最中でした。リハビリ時期が重なっていたので、電話してお互い励まし合っていました。私よりも遥かに辛く・痛いリハビリだったと思いますが、義母は、家に戻って自立することを目指していました。リハビリでの話を聞かせてくれた時、自分ぐらいの年代(80代)の人は、ほとんどがリハビリから脱落していく。やっぱり痛いのでね、でも、ここで諦めたら、施設で寝たきりの生活になってしまう、今、その分かれ道なのよ、と話してくれました。その話は本当に胸に響きました。ある時点で、痛みをこらえて乗り越えることで、そのあと残された時間の生活が変わるんだ、と思いました。
その後、抜釘があり、症状固定の時期になると、最終の診断があります。これは、症状が固定してこれ以上は治らない、という診断です。ここに向けて、私は相当頑張りました。後遺症が残ったという診断になると、自分自身の気持ちに甘えが出ると思ったからです。痛みはまだまだありましたが、足首をまげて、伸ばして、という機能面の動きは痛みの限界まで頑張りました。が、やはり右足(正常)と左足(怪我をした方)には、それなりの機能差があり、可動域には大きな違いがあることがわかりました。腫れも痛みもまだまだあります。”相当時間は経過しているし、リハビリ相当頑張ってますよね”との言葉とともに、最終の診断が出ました。私の足首はもともと柔軟性が高くて、右足の可動域は相当広い、左足も、この怪我だともっと可動域に制限が出るものだけど、もともとの柔軟性があって、この程度に収まっているのだろう、無理せずに大事にしてください、とのお話でした。
その後、無理をしなくとも、違う部位に痛みや支障が出て驚いてしまったり、左の足首のサイズが変わらないので(腫れている)足袋を左右差のあるサイズに作り直したりと、やっぱり後遺症を感じることはあります。
でも、お茶のお稽古には何とか復帰しました。ただ、茶室は火を扱ったり、貴重なお道具がある特別な世界なので、杖を持ち込んだり、倒れたり、物を落としたりすると大迷惑がかかります。どのタイミングで復帰するかは相当悩みました。そんなある日、知り合いのお茶の先生が、”立礼だけどどうかしら?”とお茶会に誘ってくださいました。椅子席なら何とかなる、と思い、社中でやっている立礼の茶会に出てみました。知り合いの大ベテランのお茶の先生が来ておられました。事情をお話すると、時間をとってお話をしてくださいました。お休み中であっても、まずは稽古優先、歩けるようになったら、椅子に座ってでも見学に行け、それから、”歩けない、座れないと思ったら終わるのよ、周りにそういう人たくさんいるの、座る方法を考えるのよ”とのお言葉。その言葉に勇気をもらい、復帰したい、見学に行きたい、杖があっても大丈夫か?とお電話したところ、是非来てくださいとのお返事をいただきました。それから、オズオズと教室に行くと、先輩たちが大歓迎してくださり、先生は大泣きして抱きしめてくださいました。その日はずっと椅子に座っての見学でしたが、お茶を続けたい、いつか正座出来るようになりたい、との思いはより強くなりました。
リハビリの先生には、お茶の教室に行くことと、受け入れてもらえるかが不安だという話をしていたので、そのあとのリハビリの日、温浴の先生、リハビリのトレーナーの方々から様子を聞かれました。”何とか大丈夫だった”とお伝えし、やっぱりリハビリチームとしては、正座を目標にしようという話になり、次は浮力を使って柔軟性を高めようという話になり、お風呂でのトレーニングや水中ウォーキングのやり方を教えてもらいました。これは今でもずっと続けています。
色んなトレーニングをし、一定の改善はありますが、やはり肝心のところは診断書の内容と変わりません。診断書に書かれていないけれど気づいた点は、足首のふらつきです。これは骨というより靱帯なのでしょうが、ほぼ左足片足では立てない。靱帯が損傷しても、周辺の筋肉がサポートするようになる(かも)と言われていたのですが、ここは難しかったようです。結局この不安定さを他の部位でカバーするためか、思わぬところで傷みが出ることがあります。リハビリの際には、ジャンプしたり、走ったりというところまで一通りやります。プログラムになっているようです。ただ、飛び上がる事の怖さと、着地できず転ぶこともあるので、こういった動きは自然と避けるようになりました。そういう意味で、復帰できないのは、ランニング、テニス、ダンスです。ゴルフもこの事故以来やっていません。
事故から3年余がたち、今でも事故の瞬間を夢に見る事があります。道路をわたることに、とても慎重になりました。
出来ないこともまだいくつかあり、やはり”元に戻る”は難しかったのだと思います。でも、後ろ向きな気持ちになっていたら、違う生活・人生になっていたことは確かです。無理を承知で、”お茶をやりたい”を掲げたことは、私にとってとても良いことでした。リハビリが、同じ症状の人に同じ結果をもたらす訳ではないことも実感しました。
大変な状況にある方に、心からのエールを送ります。