最近、“あるある大辞典”のやらせ問題が糾弾されているが、作り手の問題はもちろん重大だけど、受けての問題だってあるだろうと思う。食育という言葉も良く耳にするようになったけれど、これって改めて教えなくてはならないことなんだろうか?
かつての“当たり前”が“当たり前ではない”という状況だからこそ、改めての情報提供や教育が必要だということなんだろうか。
私にとってのスパプロジェクト第一号である、ウィンザーホテル洞爺のブルーム・スパで、あるゲスト(男性)にこう言われたことがある。“断食とか健康プログラムって信用できないんだよね。だって自宅に帰るとすぐに元の生活にもどるじゃない?”あまり健康的と言えない生活を送りつつ、ホテルやスパを創ることに忙殺されていた私は、“それもそうだよね~”と内心思ってしゅんとしたものだったが、数年を経て、違う考えに変わりつつある。“それでもプログラムに参加したほうがいい”という結構カタイ信念だ。
知識と体験の記憶が無ければ、人の引き出しは増えないものだ。スパの立ち上げは、ゲストやビジネスのためというより、はるかに自分のためになったと思う。このプロセスで知ることになる、人のからだのこと、トリートメントのこと、インテリアのこと。その全てが新鮮な驚きであり、断片的な知識が一気につながる思いがした。
身体の全てはつながっていること、様々なことはバランスして調和してこそ機能すること、などなど、当たり前と言えば当たり前、でも生活そのものを変えるきっかけになることを教えてくれた。
それは何と言っても“気持ちいいと実感できた”ことが大きかったと思う。百の理屈より一の実感、それが私の健康論なのだ。