シーガイア再生のプロジェクトをきっかけに、地域再生や活性化のワークショップなどに参加するようになり、今度は、それをきっかけに、内閣府の地域再生委員会のメンバーなどを務める機会を得ました。そういった会に参加したメンバーは、この春、”地域再生伝道師”に任命されることになりました。色んな地域の取り組みには、刺激されることも多く、今後がとても楽しみです。
更にさかのぼっていくと、シーガイアに関わるきっかけになったのは、北海道のウィンザーホテル洞爺の再生プロジェクトに参画したのが縁だったのですが、この頃は景気もまだ悪く、バブル後に破綻したリゾートホテルなんて悪の権化のように言われていたものです。今や豪華リゾートホテルの代表のように言われ、今度のサミット会場にも選ばれたこのホテルも、初めて中に入ったときには、暗くて寒くて埃だらけでした。
何とかオープンにこぎつけて、地域の小学生たちを招待した後、学校関係者の方が作文を見せてくださいました。丁寧な字で書いてあったのは、中に入れて嬉しかったこと、お城のように豪華で感激したこと、そして、大きくなったらこのホテルで働きたい、と書いてくれた子もいました。自分の家は農業をしていて、できれば野菜を納めたい、といった内容もありました。私は、この時初めて、地域といい関係が築けるかどうかは、ホテル側の姿勢によることを知ったのです。
ホテル開業の目玉であった、ミッシェルブラスのレストラン立ち上げのために、ブラス本人も、数回に亘り北海道入りしました。どのシェフよりも熱心に、地元の農家を訪問していたと思います。そして、地域を理解することについて、驚くほど努力する人でもありました。この彼の姿勢を見ていて、スパの方もローカルメニューを作ってみたいと思ったのです。
北海道のラベンダーやとうもろこしを入れたメニューを作成しましたが、実は、私が一番作りたかったのは、有珠山の灰を使ったパックでした。噴火によって、大きな被害をもたらしてしまった山でしたが、この山の持つ何かをプラスに転ずることができれば、”再生”をアピールすることができるのではないかと考えたのです。虻田町の役場の方達に協力してもらって、数回灰を取りに行きました。かなり危険なゾーンにも入ったと思います。(ずぼずぼ沈んでしまって、出れないのではないかと焦りました)研究所での試験の結果、雑菌の問題などで利用不可との結果が出てしまったのです。と、これ自体は残念な結果に終わりましたが、北海道のオリジナルメニューは、大変好評で、やはり”その土地”の要素を形にすることの価値を実感した経験となりました。
ウィンザーのプロジェクトは、死んでしまった箱に、生命を吹き込む活動だったように思います。灯りをともし、北海道らしさや、洞爺らしさを盛り込み、ようやく開業の6月1日を迎えました。このプロセスこそ”地域再生”だったのだ、と理解することができたのは、実は宮崎に入ってからのことでした。