先週は、広島入りに加えて、取材や調査関係の方々などにお目にかかる機会が続きました。こういった機会に良く尋ねられるのが”なぜスパのビジネスを始めようと思ったのか”という質問です。業界の成長性やホテルとのシナジーなど、ビジネス面を中心にお答えしていますが、夜、家に戻り、ふと思ったのが、そもそもこれは私のとって必要不可欠なものである、ということでした。
最近は、かなり元気いっぱいなので、ついつい忘れがちになってしまうのですが、もともと私は大変な虚弱児でした。年中熱を出し、旅行に行けば酔いがひどく、食も細く、と典型的なひょろひょろした子供で、学校もかなり休んでいた記憶があります。ある冬などは、風邪が続いて、正直あまり登校した記憶がありません。
で、そんな私の生活と言えば、玄米菜食、毎週末の鍼・灸・マッサージ、お灸は、鹿児島や熊本など、”効く”と言われればかなり遠方にも出かけておりました。私自身もそれはそれは暗い日々でしたが、両親の心配や苦労は大変なものであったと思います。とにかく、幼稚園~小学校の間は、体の調子が不安定なので、学校より家に居る時間が長く、一日中、床について本を読むような日々を送っていました。
中学・高校と進むうち、やや安定してきて、欠席も減ったような気がしますが、今度は肩こりがひどくなってしまい、あまりの凝りで眠れなくなってしまいました。そこで始めたのがダンスでした。それまで、マッサージを(指圧)受けすぎてしまい、もう多少の強さでは感じなくなっていたような気がします。で、そういう時にはストレッチがいい、と知り合いに聞き、家のそばにできた小さなスタジオに通い始めました。これはなかなか効果的で、コチコチだった体も、少しずつほぐれてきて、夜も眠れるようになってきたのです。
そして、のんびりした大学時代を終え、入社したのがコンサルティング会社。もうこれも無謀としか言いようが無かったのですが、仕事はできない、時間はかかる、で体力が一気に衰えてきてしまいました。久々に友人に会うと、皆ぎょっとした感じで”何か一気に年取ったみたい・・”そうだよね・・私もそう思うよ・・と今度は一念発起でエステサロンに通い始めたのです。ここで知り合ったエステティシャンの方はとても信頼できる方で(もちろんかなりチケットも購入しましたが)私の場合は、顔だけ施術しても効果がいま一つ、ということで、全身の血行を促進することとか、肩マッサージを入れていった方がいい、とのアドバイスをしてくれ、数年間担当していただきました。ここである程度、私のエイジングはゆっくりになってきたと思います。
でも、超多忙は相変わらず、出張先で倒れる、という情けない事態は続いており、仕事にも支障が出ていました。移動の疲労に耐えられなかったのだと思います。特に、海外出張と国内出張が混ざってくると、もうどうしようもありませんでした。そこで考えたのが、お風呂とマッサージです。移動したらできるだけすぐに水につかって(プールとかお風呂)事前に予約しておいたマッサージを受ける、長期滞在のホテルはプール、フィットネスのあるところを選ぶ、ということをコマめに続けることにしたのです。
で、この時に気づいたのが”香り”でした。海外では今のスパのような整った形はまだありませんでしたが、マッサージルームは快適で、アロマセラピーを導入しているところも出始めていました。それに対し、日本は、ホテルの客室に出向く指圧がほとんどで、しかも、多くの施術者の全身から煙草の匂いがプンプンしているのが常でした。腕の差はあまり感じなくとも(当時、海外のマッサージは本当に弱目で、そういう意味では日本の方が良かったと思います)ホテルの中だとタオルがふかふかなのに、日本で街中のマッサージサロンに行くと、堅いベッドに使いまわしの硬いタオル、暗く臭い部屋、と本当に雲泥の差でした。
私にとって、実はマッサージはちっとも楽しいものではありませんでした。そもそも受け始めがまだ幼稚園のとき、治療の一環で受けており、暗く・線香臭く(今思うとお灸の匂い?)なんだか湿っていて、おばさんは恐い、で次の体験は煙草の匂いの指圧師なのですから。なので、海外でスェディッシュマッサージをホテルで受けたとき、もう感動ものだったのです。それ以来、ユーウツだった香港出張もココロときめくものに変わっていきました。良く”スパは五感に訴える”という表現をしますが、ここまで違う環境で受けると、それはもう誰だって”別物”だとわかると思います。昔受けたマッサージの店は演歌が流れていて、ベッドに下にはホコリが見えました・・。その頃はまだ気が弱くて(?)”もういいわ!”なんて言えなかったので、早く終わってくれないかな~と思いつつ、そう安くもない料金を渋々払ったこともあります・・。
あと、食事についても色々あるのですが、それはまた別の機会にでも(長いので)。私が元気いっぱいの子供時代を送って、肩こりもなくて肌もツヤツヤだったら、多分こういう分野に興味を持つこともなかっただろうと思います。ちょっと大袈裟な表現をすると、スパ的な生活を(結果的に)送ることは、生きていくために必要だったということなのです。