京都国立近代美術館で開催されていた、皇室の名品という展覧会を見てきました。代々の皇室に引き継がれてきた名品を見ることができます。
欧州を中心に、王族や貴族階級のコレクションを展示してある美術館は数多くあります。この展覧会の話を聞いたとき、そういった類のものなのかと思いました。しかしながら、この皇室のコレクションはかなり性質の異なるもので、その概念そのものに大きな感銘を受けました。
明治維新の後、その大きな時代のうねりの中、伝統工芸品で生計を立てていた者は、一夜にしてパトロンを失います。存在価値を失い、意気消沈してしまう職人も多かったと言います。その芸術や工芸を救済し、盛り立てることを目的に、皇室の”お買い上げ”が始まりました。各自治体や有力者からの献上品も多く贈られ、職人たちは、また腕を振るう場所ができ、その結果集められたものが、このコレクションです。
どの品々も素晴らしいです。一目見てわかる質の高さなのですが、時代背景や制作の背景がわかったほうが楽しめそうだと思い、ヘッドホンで解説を聞き、本も購入し、東京に戻る新幹線の中で、熟読しました。
皇室のコレクションは、よく海外で見るような”どうだ!?”という感じの豪華さはありません。以前カルティエのコレクションを見たことがありますが、ダイヤの大きさやルビーの深い赤はそれだけでわかりやすい高級感がありました。純金で作ったゴブレットもある意味わかりやすいです。でも、皇室のコレクションは、その背景に歴史や和歌などのストーリーがあり、これらの意味合いがわからなければ発注もできないし、作ることもできない、という奥深さです。こういう高度な”お遊び”こそ究極の贅沢だなあと唸ってしまいました。
作家たちは、仕事として発注を受けて喜んだでしょうし、名誉にも感じたでしょう。でも、それ以上に、その作品の良し悪しが誰よりもわかる皇室の人々のために、それこそ全身全霊を傾けて制作にあたった、という情熱を感じます。
私は色んな国を旅行すると、必ずその国の美術館に足を運びます。その国の技術・文化を感じさせる美術館は意外と少ないものです。他の国から略奪したものもあれば、宗教画一色の場合もあり、あと政変の嵐の中、破壊されて残っていな国もあります。美術館として、最も感銘を受けたのは、故宮博物館でした。いまだ中国から返還を強く要求されているとのことですが、台湾にあったからこそこの状態を保てたのでしょうし、なかなか複雑なものです。
様々な美術館を見る中、あることに気づきました。今の時代に良い状態で保持するには、3つの条件が必要だということです。一つは、生み出す力、二つ目の条件は、その国に残す力(略奪されないということ)、そして3つめは、保つだけの技術力と財力です。日本も明治時代や戦後間もなく、多くの作品が失われたと言われますが、それでも相当数がこの国に残っているのは確かですし、こうやって明治時代に皇室が中心となって活性化させたこと自体、すごい国力なんだな、と感じました。
皇室のコレクションには、作り手に対する敬意や愛情が溢れていました。その品格に触れて、なんだか少し誇らしい気分になりました。