もてなし--"以て為す”事例を考えてみました。うんと遡って古事記。
今の日本は、過去のものを神格化したり綺麗に表現することが多いのですが、古事記や日本書紀を読むと、かなりワイルドです。荒々しかったり、残酷だったり、猥雑だったり。神様の表現もある意味とても人間的です。
さて、そんな古事記に出てくるお話を2つ。
まずは、天岩戸のお話。このお話は、天地を照らしていた、アマテラスオオミカミが、弟のスサノオノミコトの乱暴狼藉に嫌気がさして、岩戸の奥に引きこもってしまい、世の中が真っ暗になってしまう。それに困った他の神様たちが、あの手この手で岩戸の外に引っ張り出そうと知恵を絞る、という流れです。お願い、お願いと懇願したり、岩をごんごん叩いてみたりしても、逆効果。ならば・・と岩戸の外で宴会をします。
飲めや歌えやで、楽しげに騒ぎます。これにはアマテラスオオミカミも平常心ではいられません。”私が居なくなって困っているはずなのに、何よこの盛り上がり!?”と様子を伺っていると、新しい神様が来て、世の中が明るくなったので、それを祝っているんです、もうあなたが居なくてもみんな大丈夫、と答えが帰ってくる。ええ~っそんな馬鹿な!と思ってそ~っと岩戸を明けたところ、力自慢の神様に岩戸をがしっと開けられて、無事アマテラスオオミカミは外に出てきて世の中が明るくなった、という物語。
饗宴が、絶大な効果を発揮した、という、まさに以て為した”おもてなし”の例です。
そして次は、ヤマタノオロチの話。このアマテラスオオミカミが天岩戸に隠れる原因を作った、弟のスサノオノミコトは、その後、高天原を追放されてしまい、全国を彷徨います。ヤマタノオロチは、頭が8つある大蛇で、村の娘を食べてしまうという凶悪犯。この大蛇をやっつける作戦として、スサノオノミコトは、8つの頭を満足させる強い酒を8つの樽に用意せよ、と村人に指示します。そしてたっぷりのお酒が用意されたその夜。大蛇がやってきて、お酒を堪能し、へべれけになります。その瞬間、この頭をすべて切って退治しました、というお話。
私は子供のころ、絵本でこの話を読み、首を切られた大蛇の絵があまりにも怖くて眠れなかった記憶があります・・。神様結構コワイ・・。
という感じで、超ワイルドな古代の”もてなし”の話。
古事記や日本書紀に出てくる話で印象深いのは、神様との関係です。農耕民族だった日本において、農作物が無事に収穫できることは、何より大切なこと。神への祈りや捧げものはそのために行われる、という印象を強く受けます。この当時の”以て為す”は、まず”食べる”ことだったのでしょう。
アマテラスオオミカミの天岩戸のお話は日食だったのではないか、と言われています。太陽が照らなくなり、作物ができなくなって大騒ぎ。全身全霊を込めて、太陽復活を願った様が物語として伝承されたのでしょうか。