電通の社員だった高橋まつりさんの自殺が、大きな社会問題になっています。報道で見るまつりさんは、才気溢れる活発な女性である印象で、大切な娘を失ったお母様のお気持ちを思うと、胸が締め付けられるような思いです。
電通側では、夜10時に一斉消灯という措置を取っているようなのですが、これが根本的な解決になるとは思えません。日本の働き方にその原因があると思う今回の悲劇、私なりに思うことを記しておきたいと思います。
まず、広告代理店という業種ですが、日本の構造は特殊です。海外の仕組みでは、メディア枠の購入と広告などのクリエイティブは、まったく別の仕事で、別の会社が担っています。メディア購入は低付加価値、クリエイティブは、頭脳労働の高付加価値として扱われます。クライアント側は、広告にせよプロモーションにせよ、何等かの企画業務を依頼する際、必ずブリーフィングシートを提示することが求められ、契約書を交わすことが求められます。これが無ければ、業務は発生しません。まさに、No work, No payです。これが海外の常識です。が、これが日本になると、電通が作った常識として、メディア枠の購入と広告などの企画業務がセット売りされており、多くの場合、企画業務が”サービス”として無償もしくは低価格で付いてきます。クライアント側は、マーケや広告の素人であることが多く、ブリーフィングシートや業務範囲を明確にすることの訓練を受けていません。接待を通じて親しくなったマーケ担当者と電通側の営業担当者は、なあなあで仕事の内容と金額を決めていきます。契約書に詳しい記載はしません。その結果、業務内容の定義が無くなるのです。
電通は、極めて体育会気質の強い会社で、クライアント(お得意とも言います)の意向は絶対、という仕切りで社内の制作部門を率いていきます。が、その意向そのものは、極めて曖昧なものであり、営業の仕切りによっては、断ることも適切な内容に変えていくこともできるはずです。でも、それをせずに、ただ仕事を受けて、または変更内容をそのまま受けて持ち帰ると、社内で悲劇が起きてしまうことになります。
国内外多くの広告会社と仕事をした際、そのスタイルの違いに驚きました。ブランド&ブティックエージェンシーは、値段は高いわ変更できないわ、平気で断ってくるわと驚きのオンパレードでした。でも、確かにいい仕事をします。広告会社側が、企業戦略の請負人のような立場になり、クライアントを選ぶ場合もあるほどでした。確かに、電通は何でも受けてくれて有難い、無理を聞いてくれて助かる、と思うこともしばしばあったのですが、社員の明るさとか活気の面では大きな違いを感じていました。明らかに、高付加価値型と低付加価値型の違いが出ていました。
この驚きを感じたのは、1990年代の後半のこと。それからインターネットが普及し、グローバル化が進み、業務が効率化されるとともに、低付加価値の仕事の範囲が増えていきました。それでも、日本の会社の仕事の仕方は変わらず、結果、価値でなく量でカバーしようとする、その結果が長時間労働やサービス残業であり、過労死の原因を作ってしまうのです。
諸悪の根源のようび言われている、鬼十則は、自分で明確に業務を規定し、提案することができるなら、素晴らしい哲学だと思います。しかしながら、何も考えず、定義無く膨張した業務を、部下にやらせるため使われてしまうと、それは奴隷労働のようなルールにしかなりません。
働き方改革と、掛け声は賑やかですが、表面的なルールだけを規制してしまうと、持ち帰り残業を生み出す結果にしかならないのでは?と危惧してしまいます。規制でしばってもイタチごっこになるだけです。業務の定義や付加価値化という、日本企業にとって苦手な課題ではありますが、この解決に取り組まなければ、いつまでも悲劇は無くならないでしょう。