失言大魔王、森元総理の発言が、国際的な非難を浴びています。
ご本人は、大した問題じゃないと思って、ジョークで言ったつもりらしいのですが、「女性入る会議は時間かかる」「わきまえた女性委員」など、突っ込みどころ満載です。
これまでも、自民党政治家の発言としては、「女性は産む機械」「子供をひとりも産まない女性が年金のお世話になるのはどうかと思う」などなど、女性蔑視発言のオンパレード。次の選挙では、さすがに自民党への投票無いな、と思います。
日本での女性蔑視発言は、今に始まったことではありませんし、正直「またか」と相手にしたくない気持ちもあります。なぜこんなにも繰り返されるのか、そしてこの状態が日本にとってどういう意味があるのか、考えてみたいと思います。
男女差別は、日本に限ったことではなく、もともと世界的なものでした。例えば、イギリス文学の「Pride and Prejudice」では、貴族階級の娘たちの、切ないほどの婚活生活が描かれています。領地を持つ男性と結婚できないことは、人生の終わりを意味していました。大学時代にこの小説を読んでいたら、祖母に感想を尋ねられ、随分長く話し込んだのを覚えています。王様に愛人がたくさんいたのも、万国共通。日本の江戸時代には大奥があって、町人の娘であっても、跡継ぎさえ産めれば将軍の生母として一生安泰。宮家も同じ。お妾さんを持たなかったのは昭和天皇以降(とされてます)。
じゃあ、現代の日本以外はどうか?と言えば、欧米だって完全に平等とは言い難いですし、女性が活躍しているように見える中国だって、男性数と女性数に大きな開きがあるといういびつな人口動態です。一人っ子政策の時代に、「同じひとりなら跡取りの男子」と考えた人たちが、女子を間引いたという噂が絶えません。
それでも、世界は動いてます。
私は、男女雇用機会均等法2期生です。この法律施行前は、「女性を差別して何が悪い」という世の中でした。どれほど優秀でもやる気があっても、そもそも仕事が無い。大卒女子には仕事が無いから、短大に行く、という事が当たり前だった時代がありました。これを変えたのが、赤松良子さんをはじめとする大先輩たち。長年にわたる、涙ぐましい先人たちの努力で、女性が働く場所が増えていきました。
それでも、仕事をしながらの結婚・出産はハードルが高い時代が続きます。私自身の結婚式で、出席した上司から「結婚はしょうがないけど、出産は困る」「苗字を変えられるのは会社として迷惑。プロ意識が無い」と実際に結婚式で言われました。今なら100%アウトですが、このスピーチがジョークで通る時代だったんです。
入社して数年後、「セクシャルハラスメント」という概念が海外から入ってきました。外資系だったので、本社からガイドラインが来て、それを理解するところから始まりました。今でもよく覚えているのは、「職場にセクシャルなポスターなどを貼ってはいけない」「”ちゃん“付けや呼び捨てはいけない」という項目になったとき、若手の先輩から「え~俺無理、そんなの窮屈じゃん」の発言があり、ビックリ。でも、その会議の同席者は、幹部も含めて同意見。これ、日本じゃ無理だよね~とまたまたジョークで流す雰囲気でした。親しみを込めて呼んでいるんだから、OKだよね、の雰囲気です。
そこから約30年。今、そんな呼び方をしたら、多くの大企業では完全NGです。ベンチャーの一部ではまだあるようですが、そんな会社は見切りをつけた方が良いです。
こうして、「女性を差別しない」ことが、重要視されてきたのは、多様性を持つ会社の業績が良い、というレポートが、多くの政治の世界で受け入れられてきたことが大きいと感じています。日本では、ゴールドマンサックスのアナリストであった、キャシー松井さんの「ウーマノミクス」として知られています。安倍政権のお祭り騒ぎでは、成果がいまいちでしたけど、経済の現場では、どんどん進んでいます。もちろん、業績に貢献したという結果あってのことですが、今や、投資も融資も、ボードメンバーに多様な人材が入っているか、が重要な視点です。女性が一定数入っているのは最低限の条件になりつつあります。
世界的な企業でありながら、なかなかこれに対応してこなかったのが、日本を代表する自動車会社です。女性役員の不在について、海外の投資家から、毎回厳しい評価を受け続けてきた会社です。とはいえ、既存の自動車業界の中では、トップグループで走ってきました。その様子を見ていて、創業家の社長、同質化企業体質にも良さがあるのか?と思ったこともありますが、ここにきて状況に変化が。EVの台頭で、競合の枠組みに本格的な変化が訪れようとしています。10年後、どういう姿になっているのでしょう。
日本で常にある、「性別にこだわらず、最適な人材を選ぶ」という主張。多分、今でも、森さんや多くの自民党議員、それにメディアのおじいさんたちは、そう思っていて、自分の考えは間違っていない!と信じていると思います。でも、その”最適”って、誰が決めるの?ここが問題なんです。最適は誰にもわからない、わからないから、異なる人の考えに耳を傾けなければいけなんだと思います。
男女雇用機会均等法が施行された後、それなりに混乱はありました。まず、素養がある人も無い人も、総合職ではいっちゃったこと。会社側には、育成プランもキャリアパスも無いですし、就職した側も、それほどの意志も根性も無い、かくして、多くの人が短期間で退職しました。でも、法律は法律です。差別採用をしてはいけない、差別した会社は明確に処罰する、という法治国家としての対応を続けた結果、今や多くの女性たちが、管理職となり、幹部になりつつあります。そして、出産育児についても、随分制度が整いました。まだまだ、と思う方も多いと思いますが、以前は、何の手当も無く、かつ、夫側が負担する雰囲気でもなかったので、キャリア女性が出産する際は、「まずスキルを磨き、戻るポジションと人脈を作り」「仕事が出来ない間、分担を求められる生活費を貯蓄する」が必要だったのです。そのハードルの高さで出産を諦めるのは、珍しくありませんでした。加えて、無神経な言葉の暴力にも耐えなければいけません。妊婦さんを見て、「腹ぼて」と言って笑う同僚社員、「使えない」と堂々と言う上司。多くの人が怒りに震えた日があったと思います。そういう事を一つ一つ乗り越えての今なんです。
さて、今回の森さん発言。国内では、「不問」の雰囲気満載です。IOCも同様。
それはそれでいいですけど、これから日本人には厳しい将来が待っています。海外でまともな国として扱われません。まず先進国とは見なされないでしょう。投資では不利になり、国際会議では、発言に重みが無くなります。今でも、日本人男性の海外でのポジションは非常に低く、ほぼ相手にされません。共通の価値観を持たない、と見なされている以上、当然です。
2005年にフランスの経営大学院であるINDEADのマネジメントコースを受講した折、大変興味深い話を聞きました。基本的に国別・性別の差別をしない教育機関ですが、日本の大企業派遣の男性の受講には大変慎重だ、という話が出ました。発言が無い、協調性が無い、挙句の果てに、グループワークで一緒になった女性の参加者に、差別的発言をして、それ以降の参加不可になった人がいるというのです。しかも複数。”君が、キャリアを積む際、いかに大人であることと、忍耐強さが求められるか理解できるよ”と言われ、かなり複雑。当時ですらこの雰囲気でしたけど、今はもっと社会的な立場に対する要件レベルは上がっていると思います。
米国の大統領が、トランプからバイデンに変わったことも、今後大きく影響してくるでしょう。トランプさんは、かなりオールドスタイルの夫婦像でしたが、今度は違います。ずっと教育の現場にいる妻、それに初の女性副大統領。そういう価値観を持つ国のリーダーと、日本の政治家たちは、どう向き合っていくのでしょうか。