今や、学校の授業でプログラミングの授業があったり、マーケターは、ノンコードの分析ツールを使えるのが当たり前、という世の中になってきました。日常生活でも、スマホが無い生活は考えられないし、どういうアプリを使いこなすかで、便利さも随分変わります。ワクチン接種1回目があったとき、これからは、高齢者も”スマホ扱えません”という選択肢は無いんだなあ、と実感しました。
生まれたときから、スマホがある世代をZ世代と呼ぶそうで、PCを扱わない(扱えない?)人も多いと聞きます。どうやって会社で仕事するんだろう?と考える時点で、すでに旧世代なのかもしれません、私も。
大学で使用していたのは、タイプライターで、オリベッティという会社のものを使用していました。(この会社はまだあるんだろうか?)コンサルティング会社に入社して、使っていたのはNECのパソコンで、企業情報などを検索していました。その後、熱烈なマック信者だった先輩(東大工学部出身)の働きかけで、あのマックがやってきました。”hello"の初期画面を見たときの感動は今でも忘れられません。2台しかなかったマックを扱うために、深夜まで順番待ちをしていたような時代です。その後、マイクロソフトのwindowsが主流となり、マックの便利な機能も、こちらに多く取り込まれました。
で、会社に1人1台導入、という運びになったとき、オフィサーたちの姿勢は2つに分かれました。便利なツールなんだから、ドンドン使ってみたいという積極使用派と、それは俺のやり方じゃない派です。後者の場合、PCは作業用なので、それは若手にやらせればいい、自分は頭脳労働者だから、指示を出せばよいという主張です。ほー、そういう考え方もあるんだなあ、と妙に感心すると同時に、この後どうなるんだろう?という興味がずっと残っていました。
それから30年近く経過しました。その様子を見ていて、私が取り組んでいることは、”とにかくデジタルに付いていく”ということです。もうこれは、マストとも言えます。
私が感じたことは、”それは私の仕事じゃない”と口にした時点で、人は退化していくんだな、ということでした。デジタルには大きく2つの要素があります。一つは、コミュニケーションの量と質を上げることです。クリエーターにとって、これ以上の表現ツールや拡散ツールは無いでしょう。もう一つは、非効率な仕事、ルーチーンワークを効率化することです。この分野において、”自分の仕事じゃない”領域が絡んできます。30年前に、重鎮たちが主張した理由はココにあったと思います。
でも実は、この非効率なところにこそ、付加価値を付ける余地が隠されています。日常生活では、店や旅行の予約や買い物がありますし、会社生活においては、会議、出張、総務経理といった典型的なルーチンに見える領域です。
近いところでは、コロナ禍で一気に広がったZOOMやTEAMSといったオンライン会議のツールがあると思います。これも、海外とのMTGで便利だと思ったので、割と早いタイミングで導入しました。最初は、”できるかなあ”と言っていたうちのスタッフたちも、”使ってみると便利”と事業所間で、どんどん打ち合わせに活用しています。オンラインのサイトも、コロナ禍で店が休業したことを機に、STORESを自力で立ち上げてみて、ノーコードの便利さに驚きました。(やればできる!)
デジタルは、ネットの形を取っていますが、要は、どれだけ自分事として捉えるか、という姿勢の問題なんだと感じます。躊躇した時点で、老化の始まりなんだと自覚・自省して、とにかく前進あるのみ!