処暑に入り、ようやく朝晩が過ごしやすくなってきました。つい数週間前に、ニュースで”暦の上では立秋です”とアナウンサーが話すのを見て、”えーーー、実感ゼロ”と思っていたのですが、季節の巡りは有難いものです。
着物で出かけるようになると、夏の変化には気を遣います。最初に夏物の着物にチャレンジした年は、あまりの複雑さに眩暈がしそうになり、購入するのをやめようかと思ったほどです。着物に袷と単衣と絽・紗があり、紬も夏物があります。帯も袷用、単衣用、絽塩瀬、絽綴れ、羅、麻があり、これに文様が加わります。春の桜の後に藤があり菖蒲があり、朝顔、葡萄、蔦、虫、虫かご、波頭、ときて、兎、菊と続きます。それらを載せる色も、爽やか系から涼し気系に代わり、こっくり系に変わります。
加えて、日本全国気温や光の差が大きく、北海道の初秋と九州の初秋ではほぼ1ヶ月は違います。東京と京都でも、そして、町中と郊外でも違いを感じるので、この微妙な加減を着る物に反映させるなんて、至難の業。というわけで、夏は本当に難度高めです。
とはいえ、そういった季節の移り変わりを楽しんできたのが、ご先祖さまたち。歴史の積み重ねは、読むと本当に楽しいです。
こういった二十四節気・七十二候の本を読んでいて感じるのは、それぞれの季節に植物や虫たちの営みがあり、それらを愛でて楽しんで過ごしてきたという前向きさです。
暑い時期には早朝を楽しみ、夜が涼しくなってくれば月を愛でる。虫がいれば籠を作り、その籠自体がアートになるまで作りこむ、といった日本人の美意識は、ある意味、”何事も良い面を見る”という遊び心の賜物なのではないかと思うのです。
8月は、お楽しみが多く、大暑の時期を浴衣で乗り切り、花火があって夏祭りがあって、ご先祖様の供養があって、そして後半に入ると、猛暑を忘れるような風がふっと吹きます。
着ていく着物の帯合わせに悩んだり、この夏1回しか袖を通さなかった絽の着物を洗いに出すかどうか悩んだりと、色々考える事の多い日々ですが、それもまた楽し、と思って夏の終わりを楽しもうと思います。