親分とその子分たちで食事会をしました。
親分は、私が最初に勤務したBCGの元代表の方、そして子分たちは、その親分のやんちゃ子分たちと私です。
私がこの親分に初めてお会いしたのは、21歳の大学生だったころ。4月か5月に経団連会館で開催されたこの会社の説明会に出席した日です。その後、この会社に就職してお世話になり、8年間勤務して退職した後も、何かと気にかけてくださっていました。他の子分たちも同様です。子分と言っても、某有名私大の名物教授、数多くのディールを手掛ける渉外弁護士、マーケティングコンサルタントと、子分を多く従える重鎮子分。
もともとは、親分が現役を退任なさるにあたり、お疲れ様会をやろう、ということになったのがきっかけ。本当は大パーティを企画していたのですが、親分から少人数でやりたいとのお話があり、ご指名があったのが私たち。(大変光栄なことです)が、まだコロナが収束しきっておらず、親分の体調不良などもあり、一旦中止になっていました。その後、コロナも収束し、親分の体調回復の噂もあり、仕切り直しての会になりました。
今でこそ、日本でも人気職種になっている経営コンサルタントですが、私が大学生の頃には認知度が低く、東大生にとっても選択肢には上がりにくい職種だったと思います。会社説明会の際に、多くの学生が、コンサルタント後のキャリアプランについての質問をしていました。実際、まだコンサル後に活躍している方は、日本においては少なかった時代です。親分の答えは、”君らが社会を担う頃には、この会社の経験無くして重要なプロジェクトは任されないようになる、君らがこの国を作るんだ”というものでした。
それから約40年、この社会は実際にそうなりました。親分は、”考える”ことをとても大切になさる方で、その瞬間の規模やブランドにはあまり価値を持たれません。本質的な価値を持っているか、真摯に取り組んでいるかが、未来を決めるという考えは、ずっと一貫しています。多くの仕事を為し、引退なさった今でも、頭の回転と柔らかさは健在で、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
在籍中、お世話になってばかりで、何もお返しできなかった私ですが、一つだけ親分に恩返しできたことがあります。それはシーガイア再建の役に立ったことです。
BCGをやめた後、いくつかの外資系企業に勤務し、ファンドに関わり、その後ウィンザーホテル洞爺とシーガイアの再建のプロジェクトに従事しました。私の転職が多いと親分は随分心配なさったようなのですが、シーガイアの再建にあたっては、過去の経験のすべてが役に立ちました。直近のホテルオペレーションやマーケティングはもちろんですが、資金調達、金融機関との付き合い、メディア誘致、商品開発、戦略立案、そして、ファンドとどう付き合うか?ということも含めて。
”あれはどうなった?”と尋ねられ、”最終損益黒になりましたよ”とお話すると、随分驚いた顔をなさっていました。このプロジェクトばかりは、一企業のためではなく、地域のために役立った案件だったと思っています。BCGに入り、親分について修行することが無ければ、自分の故郷の役に立てることも無かったでしょう。
さて、当日の話題は、やんちゃ5割、それ以外は、日本のこと、伝統芸能のこと、企業のガバナンスのこと、と多岐にわたりました。本当に楽しかった!そして、自分の考えが、そうズレていないことを確認できた夜でもありました。
親分はずっと親分、少しでも長くお元気でいて欲しい。