非暴力を掲げて、インド独立を為した人、として知られた方です。友人が勧めてくれた理由は、この”非暴力”にありました。
今、イスラエルのガザ地区攻撃に全世界が注目しています。イスラエルとパレスチナ、”目には目を”で徹底した報復を繰り返してきた歴史があります。双方あまりにも被害は悲惨なので、この報復劇を、”ある意味仕方がない”と思って見ている人も多いような気がします。誰だって、親や子供を残忍な方法で殺されてしまっては、恨むなという方が無理です。
が、それを乗り越えたのが、ガンジーが説く”非暴力”でした。その内容に驚愕しました。映画ですらこの程度なので、実際はもっと悲惨だったのだと思います。
ガンジーは、非暴力により、心身共に傷つけられ、命を落とすこともあるだろう、多くの同胞が虐殺されるかもしれない、それでも報復はしない、一歩的な被害が続くことで、世界は黙っていないだろう、それが我々の勝利だ、と説いていきます。実際に、ひどい虐殺が行われるシーンが何度も登場します。
当初は、大英帝国との闘い、そして次は、国内に存在する多くの民族間の争いが待っています。ヒンズー教徒とイスラム教徒の確執は根強く、それによって、結局インドとパキスタンが誕生します。ずっと内紛がある状態を見ると、パキスタンは、ずっと戦っている国なんだな、と感じてしまいます。”目には目を”だと安らぐ時が無いのかもしれません。
ガンジーは、異なる考えを持つ人を認める心を持とう、と説き続けますが、それに加えて主張していたのが、地方における手仕事の重要性です。イギリスから羊毛の織物が入ってくることで、織物で生計を立てていた人が貧しくなります。それを覆すように、自分で糸を作り、織物を作り、自作の着衣を推奨します。地方の豊かさを取り戻すべき、欧米の失敗の輸出を受け入れるべきではない、と語っています。
貧しいから気持ちが荒む、荒むから他人に優しくなれない、優しくなれないからちょっとしたことで争いが起こる、その連鎖をわかりやすく示している映画だと思います。
日本について考えてみます。海外に行くと、戦後の日本が、なぜ米国に追従するのか、厳しく聞かれることがあります。特に中東に行くとこの傾向は顕著です。私自身もこの事に対する答えはありません。広島・長崎の原爆とか、東京大空襲などは、虐殺以外の何ものでもないと思いますし、ホロコーストと同様に扱われてもおかしくない戦争犯罪だとも思います。でも、戦後の復興は、そんな気持ちに蓋をしてひたすら生活再建することで為したことです。多くの戦後賠償にも耐えてきました。
日本人が寛容だったわけではなく、それしか選択肢が無かっただけの事だと思いますが、それでも、結果的に日本は”目には目を”を行わずにここまで来ました。それは大きな達成であったのだと実感します。
グローバライゼーションが進行する一方で、その土地にしかない物の価値は上がってきています。これは、20年前、私が道に悩んでいた時、フランスの大学院であるINSEADで学んだことです。幸運なことに、日本各地には豊かな手仕事の歴史が残っています。自然豊かな産物も同様です。
非暴力という言葉を使わずとも、まずは周りの人々に寛大に。そして目の前にあるものに感謝する、そういう小さなことから、平和は生まれると感じさせてくれる映画です。
一日でも早く、ガザ地区に平穏が訪れることを、願わずにはいられません。