お茶のお稽古をしていると、日本の四季の豊かさと、それを生活の楽しさに活かしてきたセンスを感じます。すでに3月に入ってしまいましたが、2月は極寒の季節として、少しでも暖かさを感じる点前満載でした。
一つは大炉。これは裏千家だけで行われているそうですが、炉自体が大きくなり、そこに蓋が大きな大ぶりの釜が据えられます。炭もたっぷり入れます。寒く薄暗い部屋ですと、蓋を開けた瞬間に、湯気が立ち上り、それだけでほっとする景色です。暖房がかかり明るい部屋だと興ざめになるこの点前、古い茶室の小間でのひとときは最高の瞬間でした。
もう一つは、筒茶碗。筒状の茶碗であることで、少しでもお湯が冷めないようにと工夫された点前です。今は、ややこぶりの筒茶碗が多く、お湯を注ぐ際に苦労しますが、古めの茶碗だと、かなり大ぶりです。たっぷりお湯を入れて、”温まるなあ”と思いながら一服召し上がっていた様子を想像するのも楽しいひとときです。このお茶碗で点てる際は、ギリギリまで、水屋で熱々のお湯を入れて茶碗を温めます。これも、暖房のかかった水屋では実感できないことですが、寒い水屋で支度をしていると、茶碗に湯を入れることで、準備する側も温まります。火をおこすこと、湯を使うこと自体が贅沢だった時代の工夫なんだろうなと感じました。
茶事の際は、後炭といって、薄茶の前に炭を足す工程があるのですが、この折に、茶巾で茶釜を拭く所作があります。釜を拭く・・?と不思議に思っていたのですが、これも、寒く薄暗い部屋でやると、ほわ~っと湯気が上がります。その湯気がご馳走なのです。
晴れやかな新年の茶と桜の季節の茶の間、やや地味目な寒い季節ではありますが、それでも工夫して楽しみともてなしを見出した先人たちは、本当に素晴らしく、学ぶことの多い日々です。
そして、これらの季節の点前は、毎年同じ時期に稽古します。毎年やる度に、ちょっと工夫が出来たり、スムーズに点前が出来たりすると、とても嬉しい気持ちになります。点前はどうしても、まず形から入るわけですが、年を重ねるごとに、その意味が徐々に理解出来るようになってきます。筒茶碗を温めることとか、釜の湯気のほっこり感とか、そういう部分でしょうか。
日本のように、歳時を大切にしている国はほとんどありません。これは、日本において季節がはっきりしていることと、常に楽しみを見つけてきた雅な遊び心が作り上げてきた伝統なんだと思います。
繰り返すこと、続けること、考えることの大切さを実感するこの季節です。