2008年のサミット開催地として北海道の洞爺湖町が選ばれました。驚きと共に感無量です。
ウィンザーホテル洞爺を最初に見たとき、マンガに出てくる要塞のようだというのが第一印象でした。美しい山の頂に台形にどっしりと位置する建物。正直言って、そう美しい形状とは言えません。拓銀の破綻の一つとも言われ、地元での評価は散々なものでした。有珠山の噴火後、洞爺湖温泉街は廃れる一方で、こんなところに高級リゾートを作って、本当にお客は来るのだろうか、と訪れる誰もが感じたと思います。
その大きな課題を解決する手段は、強烈なコンテンツを持つことでした。リゾートの稼動の不安定さを考えると、安い単価では勝負できません。高い単価で勝負する場合、東京などの都市部から、目の肥えた上顧客を引っ張ってくる必要があります。海外ではいくつか例があるものの、日本でまだ誰も成し得なかったことに、このホテルは無謀なチャレンジを始めました。
ハイレベルな食が勢ぞろいしていたこのホテルでしたが、その時間を埋めるコンテンツはほとんど何も用意されていませんでした。”スパを作ったらいかがですか?”との一言がきっかけになって、突然スパを作るプランが浮上したのです。開業7ヶ月前のことでした。私はただ単に提案しただけであって、自分がやる(できる)とは一言も言わなかったのですが、マーケティング担当の私がなぜかスパを作ることになってしまい、それから試行錯誤の日々が始まりました。
コンサルタントの手も借りましたが、多くのインスピレーションは北海道そのものとミシェル・ブラスや美山荘の仕事ぶりから得ました。地元素材への敬意や探究心、顧客を大切にする姿勢など、学んだことは数知れません。雑誌などでレストランの掲載頻度が落ち始めた頃、代わってスパが頻繁に登場するようになりました。遠隔地ではあるものの、リピーターのお客様も増え始めました。手探りの立ち上げでしたが、ささやかな貢献は出来たのではないかと思っています。
オープニングプロジェクトの時期、洞爺には、世界中から一流の仕事人たちが集っており、彼らから学べた私は本当に幸せだったと思います。その多くは既に洞爺を後にし、次のステージに踏み出していますが、こういった”仕事人”たちの助けが無ければ、ここに一流を作り出すことはできなかったでしょう。
洞爺に詰めていたころ、よく皆で、”名前が良くない”とぼやいていたものでした。”大体さ~爺さんのほこら”だぜ。いくらなんでもシブすぎるよなあ。住所を書くときに結構”爺”って字は書けないんだよね。などと不毛な議論を繰り返していたのですが、間もなく、ブラスが"ミシェル・ブラス・トーヤ・ジャポン”という正式名称を提案してきました。お~かっこいい!ではスパも・・というわけで”ブルームスパ・トーヤ”という名前にしてみました。名前ってそういうものです・・。
街ぐるみで誘致をした各地に比べ、北海道には、このホテルしかありませんでした。逆に言うと、ただ1件のホテルがサミット誘致を成功させた、とも言えます。TVに映し出される景色を懐かしい気持ちで眺めつつ、改めてホテルの持つ可能性を感じる今日この頃です。