久しぶりに京都に行ったので、京都とパリのことを書いてみたいと思います。
世界的な観光地として知られている、この2つの街ですが、不思議なほどに共通項が多いところです。
1.歴史の舞台になったところで、かつ多くの施設が良い状態で保全されている
2.街の真ん中に川が流れており、散策や道しるべなど存在感がある
3.食のレベルや工芸品のレベルが高く、何度訪れても尽きぬ楽しみがある
4.歩いて楽しく、一人でも安心して観光ができる
というあたりでしょうか。特に、一人旅も多い私にとって、4のポイントはかなり重要で、実は治安の悪いイタリアあたりとか、そもそも治安が悪くあと車での移動が前提になってしまう街が多い米国はあまり魅力を感じません。ちなみに、メルボルンやシドニーなどはかなりポイント高し!です。
パリは、何度か比較的長く滞在できる機会があって、その楽しみが広がりました。手ごろな価格のプチホテルを見つけて拠点にし、とにかく朝から歩く、歩く、歩くで、スニーカーは不可欠です。パリには、素晴らしい美術館が多くありますので、毎回行くのを楽しみにしています。ルーブルやオルセーが観光の定番ですが、オルセーにちょこっと行った後は、個人のアーティストを取り上げたこじんまりとした美術館に行くのが常です。
パリも京都もセーヌ川、鴨川の川沿いの散策そのものが楽しいのに加え、ここを目印に歩いていけば、大抵のところにはたどり着けるので、方向音痴の私にも、安心な街です。
パリで私が特に好きなのは、ロダン美術館とモネを扱っているマルモッタン美術館です。ロダンの方は、行ってはじめて、カミーユ・クローデルに描かれているロダンの生き方の背景を理解できる気がしましたし、彼が違法に住み続けたという屋敷(そのもが美術館になっています)は、何はともあれ、広く・手入れされ・快適です。マルモッタンの方は、富裕層のお屋敷街として知られる16区のそばにあり、地下鉄の駅からてくてく歩いていくときの町並みやお店のショーウィンドーも素敵です。ゆったりとして優しげな景色を抜けていくと、邸宅を改装した美術館が出現します。モネは多くのスイレンを描いています。高齢になってからの作品は、もう何が描いてあるのかわからないぐらいです。以前、この美術館が上野の美術館で移動展を開催したことがありました。味気ない会場、溢れる人で、雰囲気台無し。きっとこういう出会いしか無ければ、私はモネを好きになれなかっただろうな、と思うと、本当に場の設定は大事だと痛感させられました。
京都の散策は何と言ってもお寺さんです。お庭がとても素敵。季節による歳時、お坊さんの法話など、旅での短い滞在でも、このときばかりは、厳粛で心静かな時間を堪能できます。青蓮院のライトアップに遭遇できれば、本当にラッキー!という気分になれます。京都で感じるのは、人の歴史は苦しみとの折り合いをつけることではないか、ということです。神社仏閣での祈り、三十三間堂などでの仏像などを見るにつけ、古のひとたちが感じてきた救いの想いの深さを感じます。まずは単純に、朝の東山あたりは、とても澄み切っており、散歩するだけですっきりした気持ちになれるので、この”気”そのものに魅了されているのだと思います。
さて、食の深さ、豊かさもこの2つの街の魅力です。ここでも似てる!と勝手に思っているのが、美術館のカフェとお寺さんのお休み処です。歩いていると、すぐにお腹がすくので、ちょこちょこ休憩するのを楽しみにしています。パリの美術館ではどこもカフェが充実し、コーヒーとお菓子、といった本当のお茶休憩から、キッシュやランチプレートまでメニュー豊富。街中の騒がしいカフェよりずっと優雅に過ごせます。で、京都は抹茶とわらび餅、とかぜんざいなどなど。お庭を見つつほ~っと一息です。観光ビギナーの頃は、ランチやディナーに気合を入れすぎて、おいしそ~と思いつつお腹いっぱいで食することができなかったので、今は、その分も考えつつ、お食事プランを立てるようにしています。
滞在が長めのときは、軽めの食事を部屋で取ることも多く、そういうときは、デリやお惣菜が大活躍です。パリはデパートの地下も豊富ですが、サンジェルマン・デプレのあたりは、出来立てをその場でもテイクアウトでも食べられて、アジア系メニューも豊富にあるので、頼りになる場所のひとつです。(なので、お宿もこの近くに取ることが多いです)そして、京都は何と言っても錦市場ですね。
で、最後に感じるこの2つの街の共通項は、今後の課題です。ミシュランレストランと名料亭が軒を連ねる食の都で、ファッションメゾンや伝統ある呉服店が軒を連ねるところですが、大衆化の波にはどちらも手を焼いているようです。京都に溢れるコンビ二などはその最たるものですが、文化の中心を支えてきた、客層が変化することによって、大衆化、低価格化が確実に進行しているとも言われています。そんな話を聞くにつけ、街に変わらないでいてほしい、この美しき都の良きゲストでありたいものだ、と思ってしまうのです。