財務省のセクハラ問題、メディア関係者から営業職まで、議論が広がりつつあります。
何故、セクハラが起きてしまうのか、そして多くの場所で我慢し続けられてしまうのか。それは、女性の側に、仕事で認められたい、という強い気持ちがあったからです。メディア系の告発の多くは、いつか自分が取り上げたいテーマがあった、番組を作りたかった、その過程において、夜討ち朝駆けの取材は修行として避けて通れず、セクハラも耐えるしかなかった、語っています。
大ヒットしたドラマ”逃げ恥”で、”愛情の搾取”という表現がありましたが、今の状況は”女性のやる気の搾取“以外何物でもありません。この問題に、日本の社会がどう向き合うのか、大きな転換期だと思います。というのは、少し前まで、”やる気”があっても場所を与えられないのが当たり前でした。それがようやく場所を与えられるようになったものの、違う問題が出てきた、という状況なのだと思います。
課題として明らかになった場合、それをどう解決するかで、組織の力は決まります。今回の場合は、日本という国のあり方に注目が集まっています。日本の女性蔑視や男女不平等、女性の労働負担は世界的に知られており、海外に行くと、その注目の高さに驚くこともあります。”そんな国”だと思われていると、恥ずかしくなることもしばしばありました。
職場において、性が絡むハラスメントを見た、何等かの影響を受けた、という点で言えば、私自身も、色々な経験をしています。自分が所属している組織で、自浄作用が効かない現実を目の当たりにすると、本当に情けなく、そこを辞したこともありました。結局、こういった問題が起きた場合、解決できない組織は、本当に居心地が悪いのです。
居心地が悪い状況は長くもちません。組織はある期間で明らかに低迷します。時間はかかりますが、当事者も長くは持ちません。世間は良く見ているもので、いつの間にか活躍の場は失われていきます。もしも、社会的な立場は維持できたとしても、家族との関係の悪化は、寂しい老後を意味します。そういう方も多く目にしました。
今回の福田事務次官もそうですが、セクハラ騒ぎを起こす人に、”いい感じ”の人はいません。もさっとしていて、太っていて、脂の匂いがしそうな感じ。立場を振りかざさないと相手にしてもらえない段階で、”自分はイケてない、ダサい”と言っているようなものです。この見苦しさを、後に続く若い世代は良く見ておいてほしいです。
人生の帳尻は合っていると思いますが、そんな長い期間待てない、やっぱり納得がいかない、とお怒りの方は、力を付けることです。悔しさをバネに。転職でも独立でも、力があれば、環境は変えられます。
今回、女性たちの問題提起の輪が広がっているのは、それだけ、働く女性たちが力を付けてきた証です。それぞれに頑張ってきた年月は無駄ではなかったと思います。
何事には、いい面と悪い面があります。不愉快な出来事で、テレビをつけるのも嫌な気分にはなりますけど、きっと物事は前に進む、働く場所の居心地は、きっと良くなる、そう信じたいです。