ペストやコロナのようなパンデミックは、社会構造を変えてきました。ペストは、宗教から科学へと人の価値観を変えたと言われています。今回のコロナは、何をもたらすのでしょうか?
価値観の変化を考えるとき、私が思い浮かべるのは、茶道です。日ごろ感じている和敬清寂や、一座建立ということではなく、茶道そのものの変化についてです。
茶道というと、”花嫁修業”を連想する方が多いと思います。そして、女性がするもの。今や茶会にいけば、99%女性しかも年齢層高めの方を多くお見かけします。が、そもそも女性が茶の湯を許されたのは、明治維新以降、それを推進したのは、八重の桜の八重さん。それまで、茶室自体が、女人禁制に近いものでした。この変化にはもうびっくり!
この大変化には、裏千家の絶妙なマーケティングがありました。敗戦後、日本的なものはことごとくGHQに否定されたので、裏千家も存亡の危機に。一方、戦争でご主人を無くした良家の奥様方は、何かの手段で食べていく必要がありました。そこで、お免状制度を設けて、自宅で若いお嬢さんたちに指導できる資格制度を設けたのです。東京は焼け野原でしたけど、地方都市には、焼け残った家が多く、自宅には茶室、蔵には茶道具が残されていました。今の茶道会を支えている先輩方は、そのころにお稽古をし、裏千家の復興と成長とシンクロしてきた方とそのお嬢様たちです。この発想と実行力は本当にすごい!ハーバードのテキストに出ても良いぐらい秀逸です。
その前までは、茶道は男性しかも財界の方たちが嗜むものでした。東京に美術館や庭園を残している根津嘉一郎はじめ、錚々たる方々が茶の湯で交流を持たれています。国を動かすような話に加わりたかったら、茶の湯を学び、ある程度の道具をそろえ、趣向のしっかりした茶事を催すことが、入口だったのです。その理由は、明治~昭和初期でさえ、日本の美術品の海外流出が止まらず、財界人が買い集めないと、日本の伝統が失われる状態だったからです。これを推進したのが、三井物産の創業者、益田孝。で、今はどんな感じかといえば、現代のベンチャー小僧たちは、小金を手にすると、まず向かうのはキャバクラ、そして車、クルーザー、軽井沢に別荘。本当に志の低いことでございます。
というぐらい、ガラリと変わる。
今、日本では、お家元というと絶対の立場のように思われがちですが、もともとは、武士や財界人に、茶道を教えていた茶頭。指導はするけど、お仕えしていた立場です。お仕えする相手がいなくなってしまったので、なぜか組織の頂点に。政治家も財界人も、茶の湯をやる気配がないので、当面これは続きそうです。ちなみに、茶道は仏教~武士の流れを汲んでいるので、皇室とのつながりは薄いです。(これもある日、はっと気づきました)宮家の方々は、召し上がること専門です。
私は、本当にお稽古がなかなか進まず、季節が変わるたびに、”新鮮な気持ちで”(つまりまるっと忘れている)繰り返しているような状態なのですが、歴史を知ると本当に面白い!かつ、今目の前で起きていることを、ちょっと引いた目で見ることができます。”どうせ変わらない”と思っていること、”どうしようもないこと”が、実はそうじゃないんじゃないか?と思えてきます。
大変なことも数あれど、今年が何かの変革の年になるのか?そう思うと、大変さも前向きにとらえられます。戦後間もなくの裏千家のたくましさに学びたい!