秋めいてきて、夜は風が心地よく、そして月が綺麗です。
先週、お月見をテーマにしたお茶会に行ってきました。お月見・・お団子が出るのかな?帯や月の模様がいいのかな?と超単純な想像で出かけたのですが、もちろん大外れ。
用意されていた趣向は、”月の夜の野点”でした。
これがまた美しい・・。
茶籠の中に布張りがしてあります。
お道具はそれぞれお伴の布があります。
桜の茶会の時にも感じたことですが、昔の日本人は、自然の中で、自然と遊ぶのが上手。桜があれば桜を愛で、月があれば月を愛でる。屋外でいかに楽しく美しく、そして美味しく時を過ごすかに知恵を出し合い、それが今は伝統文化になっている。
もちろん、多くは上流階級のお遊びだったかもしれませんが、桜も月も、人を選ぶわけではないので、質素ではあっても、庶民も楽しむ機会を作っていました。
現代人は、本当に豊かになったのだろうか?とこういうお道具を見るたびに考えてしまいます。と、同時に、見た瞬間、”素敵!”とワクワクもしてしまうわけで、このトキメキを、何かに繋げたいなあ、と思います。
繋げるというと、私の場合はすぐにスパになってしまうのですが(笑)、そもそもスパも究極の”暇つぶし”です。これを口にすると結構驚かれてしまうのですが、私の持論です。
マッサージもフェイシャルも、”機能”です。物理的に働きかけることで、もちろん素晴らしい効果をもたらします。
でも、精神面はどうでしょう。”あ~、気持ち良かった、あ~、癒された”と脳が感じるには、五感への働きかけが不可欠です。バタバタした環境で体に触れてもらっても、脳が休まったり、呼吸が深くなることは、あまりありません。あったとしても限定的です。
スパは確かに贅沢なものかもしれないけれど、贅沢なものには贅沢なものの、役割があると思うんです。
空間に足を踏み入れた瞬間に、全身で驚き喜んでもらいたい。大切にされている、もてなされていると感じてもらいたい。
先人たちの、自然との遊びは、多くの示唆をくれます。